大判例

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金沢地方裁判所 昭和62年(ワ)284号 判決 1992年6月19日

主文

一  被告は、原告甲野一郎に対し、金九五二六万二〇五九円及びこれに対する昭和五九年一月一日から完済まで年五分の割合による金員を、同甲野花子に対し、金三三〇万円及びこれに対する同日から完済まで同割合による金員を、それぞれ支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その二を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、主文第一項につき、仮に執行することができる。

ただし、被告が原告甲野一郎に対して金四〇〇〇万円の担保を供するときは、同原告に対する支払分のうち金三〇〇〇万円を超える部分につき、この仮執行を免れることができる。

理由

第一  請求

被告は、原告甲野一郎に対し、金一億六九五〇万九九〇九円及びこれに対する昭和五九年一月一日から完済まで年五分の割合による金員を、同甲野花子に対し、金五五〇万円及びこれに対する同日から完済まで年五分の割合による金員を、それぞれ支払え。

第二  事案の概要

一  原告甲野花子(以下「原告花子」という。)は、昭和五八年一二月六日、被告の経営する石川産婦人科医院(以下「被告医院」という。)において、原告甲野一郎(以下「原告一郎」という。)を出産したところ、原告一郎は脳性麻痺に罹患した。原告らは、この脳性麻痺は、右出産時及び出産後の被告の医療上の落度に起因するものであると主張して、被告に対し、主位的に診療契約上の債務不履行責任に基づき、予備的に不法行為責任に基づき、後記の損害、及びこれに対する被告の診療過誤の後であつて、被告一郎が被告医院から退院した昭和五八年一二月三一日の翌日である昭和五九年一月一日以降の民法所定の割合による遅延損害金の支払を求めているものである。

二  本件の経緯

1  当事者等

(一) 被告は、肩書地において石川産婦人科医院を経営する産婦人科医である。

(二) 原告一郎は、訴外乙山太郎と原告花子(旧姓乙山花子)の長男として、昭和五八年一二月六日一五時五分被告医院で出生した(以下特に記載しない限り、すべて同年同月であるので、この年月を省略することがある。また、時間については、一日を二四時間としての表記であり、以下、特に記載しない限り、すべてこの二四時制によつて表記する。)。その後原告花子と訴外乙山太郎は、昭和六一年八月七日に離婚し、原告花子が原告一郎の親権者となつた。(以上は、当事者間に争いがない。)

2  診療契約の締結

昭和五八年一二月六日、原告花子は、出産のため被告医院に入院する際、被告との間で、出産に係る診療契約(医師である被告の義務としては、生まれる子供についてはこれに病的異常があればその医学的解明及び医学的治療行為をすること)を締結し、次いで、原告一郎出生の際、原告花子及び訴外乙山太郎の共同名義で、原告一郎の法定代理人として、被告との間で、原告一郎に病的異変があればその医学的解明及び医学的治療行為をすることに係る診療契約を締結した(当事者間に争いがない。以下「本件診療契約」という。)。

3  原告一郎の症状と被告による診療の経過

(一) 原告一郎は満期正常分娩で出生し、出生体重は二四八〇グラムであつた。(このこと自体は当事者間に争いがないが、後記のとおり、SFD児かどうかの判断にあたつてこの体重によるべきであるかどうかにつき争いがある。)

(二) 被告が、九日の八時過ぎころに、デキストロスティック法(以下「DX法」という。)により、初めて一郎の血糖値の検査をしたところ、〇ミリグラムに近い結果が出た(当事者間に争いがないが、後記のとおり、この結果の評価については両者の見解が異なる。)。

(三) 原告一郎は、三一日まで被告医院に入院し、同日退院した(当事者間に争いがない。)。

4  異常の発見

原告一郎は、昭和五九年六月一二日に金沢市元町保健所で六か月目の健康診断を受けた際、発育に遅れがあるので金沢大学医学部付属病院へ行くように勧められ、同病院で検査を受けた結果、同病院の入道秀樹医師から脳の後頭部萎縮及び脳性麻痺(以下、あわせて「本件脳性麻痺」という。)を指摘された。

5  原告一郎の現在の症状

原告一郎は、石川整肢学園医師辻成人の診断により、低血糖後遺症による体幹(一級)及び四肢機能障害、失語症を障害名とする身体障害者等級一級の認定を受けている。

三  争点

原告の基本的主張は次のとおりである。すなわち、原告一郎の出生当時、在胎期間の割に出生体重が平均よりもかなり少ない新生児は、SFD児(small for datesinfants)と称されて、栄養不良等により低血糖症に陥りやすいこと、この低血糖症により脳性麻痺等の回復困難かつ重篤な後遺症を残す危険のあることが多くの者によつて指摘されており、したがつて、SFD児については、出生後の早期から経時的に血糖値の検査をするなどして、低血糖症の早期発見治療に努め、かつ、なるべく早くから十分な栄養を補給すべきであり、経口授乳が困難な場合には経消化管栄養補給を始めるべきであることが通常の産婦人科医に広く知られていたのであるから、産婦人科医である被告としては、右の点を十分に配慮して診療すべき義務があつた。しかるところ、原告一郎がSFD児として出生したことは明らかであつたから、被告としては、原告一郎の出生後の早期から経時的に血糖値の検査をするなどして、低血糖症の早期発見治療を行うべきであつた。しかるに被告は、これを怠り、長時間血糖値検査をせず、また原告一郎が実際にはほとんどミルク等を飲んでいないのに、漫然経口授乳による栄養補給しかせず、そのため、原告一郎は低血糖症を発症し、かつこれにより原告一郎に脳性麻痺の障害が発生してしまつた(なお、原告一郎の低血糖が判明した後の被告の原告花子及びその親族に対する説明が適切でなかつたので、原告らから早期リハビリ開始等の機会を奪つたという過失もある。)、というのである。

これに対する被告の基本的主張は、次のとおりである。すなわち、原告一郎がSFD児であるかどうかについては医学上考え方が分かれており、また、原告一郎の在胎期間の判断とも関連してSFD児であるとは断定し難い。いずれにせよ、原告一郎の出生当時、一般産婦人科医である被告においては、同原告をSFD児と見て原告らが主張するような格別の医療上の配慮をすべき義務までは負つていなかつたものである。加えて、被告には原告一郎に対する栄養補給の点で落度はなく、また、そもそも被告医院に入院中に原告一郎が低血糖症に陥つたという事実もなく、原告一郎の脳性麻痺の原因については医学上明らかではない、というのである。

したがつて、本件の主たる争点は、原告一郎が被告医院に入院中に低血糖症に罹患したかどうか、これと同原告の脳性麻痺との間に因果関係があるかどうか、そして、同原告の低血糖症ないし脳性麻痺の罹患について被告に本件診療契約上の債務不履行ないし不法行為上の過失があつたかどうか、また、原告一郎の低血糖が判明した後の被告の原告花子及びその親族に対する説明が適切であつたか(誤つた説明を行い、原告らから早期リハビリ開始等の機会を奪つたか)どうかであり、さらには被告の賠償責任が肯認されたとき、原告らの損害をいかに算定するかである。以下、項を改めて双方の主張の概要を述べる。

第三  争点に係る当事者の主張

一  原告らの主張

1  SFD児と低血糖症及び脳性麻痺の関係

被告の債務不履行ないし過失を論じる前提として、SFD児と低血糖症及び脳性麻痺とは、次のような関係にある。

(一) SFD児概念及び基準について

SFD児の概念は、低出生体重児のなかでも、在胎週数の割に体重の少ない児の方が死亡したり、合併症を惹起する危険が高いことが知られてから発達したものであるところ、その選別ないし決定基準としては、わが国では、原告一郎出生時も、また現在においても、船川の在胎週別出生体重基準を用いて、平均体重のマイナス一・五SD(標準偏差)未満をSFD児とみなすのが一般的である(この基準を以下「船川の基準」という。)。また、アメリカでは、ルブチェンコの体重曲線による基準(この基準を以下「一〇パーセンタイルの基準」という。)が一般的なものとされている。

(二) SFD児と低血糖症の関係

SFD児は肝糖原量の貯蔵が乏しいため、元来低血糖症に罹患しやすく、しかも飢餓時間を長くすると特に低血糖症に罹患しやすくなる。

(三) 低血糖症と脳性麻痺との関係

低血糖症は、治療が遅れるとしばしば脳性麻痺などの重篤な中枢神経障害の後遺症を残す。特に症候性(症状を伴つたもの)の新生児低血糖症は、後遺症の危険が高い。

(四) 以上のとおりであるから、SFD児は低血糖症に罹患しやすく、罹患すると脳性麻痺などの重篤な中枢神経障害の後遺症を残す危険がある。

2  被告の債務不履行ないし過失-早期発見治療の懈怠について

(一) 出生までの義務違反について

SFD児は前記のとおり、低血糖症に罹患し、脳性麻痺等の後遺症を残す危険を有しているところ、原告花子は、妊娠末期の子宮底長が小さく、被告としては出産以前にSFD児出生の予見が可能だつたのであるから、SFD児であることを予測し、新生児集中治療室を備える厚生連高岡病院等へ送つて出産させるか、或いは被告自身が分娩自体に十分注意して立ち会い、子供にとつて分娩の負担ができる限り軽いように留意すべきであつたのに、これを怠り、原告花子に新生児集中治療室のない被告医院で出産させ、分娩の立会いも、原告一郎の頭部が発露した段階以降であつた。

(二) 出生以後の義務違反について

(1) 原告一郎は在胎期間四〇週で生まれたところ、船川の基準及び一〇パーセンタイルの基準のいずれによつても、在胎期間四〇週で生まれた当時の新生児の場合、二六三〇グラム以下がSFD児に該当したのであるから、原告一郎はFSD児であつた。

(2) したがつて、明らかにSFD児に該当する原告一郎については、被告は、脳性麻痺等の重篤な後遺症を残す危険のある低血糖症に罹患しないように、出生後の経過に注意し、血糖値を数時間ごとに検査するとともに、ミルクの摂取状態や全身状態にも注意を払い、もしこれらの点に異常があれば早急に必要な治療をすべき義務があつた。

(3) しかるに被告は、原告一郎にチアノーゼの症状が現れるまで全く血糖値の検査をせず、すでに低血糖症の症状が現れた後に初めて血糖値の検査をし、その結果、その当時既に著しい低血糖状態であることをようやく知つたのである。結局、右検査を実施しなかつたことによつて、原告一郎の低血糖ないし低血糖症の発見が遅れ、そのため栄養不良による脳性麻痺が発生したものである。

3  被告の債務不履行ないし過失-早期栄養補給の懈怠について

(一) 前述のとおり、SFD児はそもそも低血糖症に罹患しやすく、しかや飢餓時間が長いと低血糖症に罹患しやすいので、早期から授乳を開始し、早くミルクを増量すべきである。経口での授乳が困難な場合には、経消化管輸液等の必要な早期栄養補給を行う必要がある。

(二) 原告一郎は、出生後元気がなく、哺乳力不良の状態だつたので、経消化管輸液等の早期栄養補給を行う必要があつた。

(三) しかるに被告は、原告一郎の哺乳力不良に注意を払わず、漫然経口授乳のみをすすめ、八日の午後に、原告花子の母親等から「母乳やミルクを飲まない」との訴かを聞きながら、これに対しても「心配は要らない」と答えるのみで、何ら対策を立てなかつた。そして八日一九時に、原告一郎にチアノーゼが出現してもなお輸液等による栄養補給をせず、九日八時二〇分の血糖値の測定後初めてこれをするまで放置し、その結果原告一郎は低血糖症に罹患し脳性麻痺に罹患した。

4  因果関係について

(一) 低血糖症に罹患したことについて

原告一郎は、被告が初めてした九日八時二〇分ころの血糖値検査において、約〇ミリグラムの血糖値と測定された。それ以前にも、原告一郎には哺乳不良やチアノーゼが見られ、これは低血糖症の症状である。以上から、原告一郎は九日に血糖値検査を受けるまでに、既に低血糖症に罹患していたと見るべきである。

(二) 上記低血糖症と本件脳性麻痺との因果関係

新生児の低血糖症は脳性麻痺等の後遺症を残す危険があることが、一般的知見となつているところ、低血糖症以外に原告一郎の本件脳性麻痺の原因が見当たらない。したがつて、原告一郎の本件脳性麻痺は低血糖後遺症に原因するものと考えるべきであつて、原告一郎の低血糖症と本件脳性麻痺との間には因果関係がある。

5  原告一郎の低血糖が判明して以後の被告の説明について

一一日、被告は原告らの親族に対し、脳の障害は残らないだろうという趣旨の発言をし、そのことにより原告一郎から早期リハビリ開始等の治療の機会を奪つた。これは被告の本件診療契約上の債務不履行ないし過失であり、原告一郎の脳性麻痺との間に因果関係がある。

6  損害額について

(一) 原告一郎について

(1) 逸失利益 七八七三万四九八九円

原告一郎は前記後遺症により労働能力を一〇〇パーセント喪失しているので、就労可能年数を満一八歳から満六七歳までの四九年間とし、平成元年の賃金センサスの男子労働者産業計企業規模計学歴計全年齢平均収入年額四七九万五三〇〇円を基準とし、新ホフマン方式により中間利息を控除して計算する。

四七九万五三〇〇円×(二九・〇二二四-一二・六〇三二)

(2) 慰謝料 二〇〇〇万円

(3) 原告一郎の看護費用 五五七七万四九二〇円

原告一郎は前記重度の障害により、平均余命の七四歳まで、日額五〇〇〇円(年間一八二万五〇〇〇円)の費用を要するので、新ホフマン方式(七四年の係数三〇・五六一六)により現価計算する。

(4) 弁護士費用 一五〇〇万円

(二) 原告花子について

(1) 慰謝料 五〇〇万円

(2) 弁護士費用 五〇万円

二  被告の主張

1  SFD児と低血糖症及び脳性麻痺の関係

(1) SFD児概念及び基準について

SFD児の決定基準は未確定である。研究者によつて、標準偏差の一・五倍を基準とする立場(原告らの主張はこの立場によつている。)から、三パーセンタイルを基準とする立場、一〇パーセンタイルを基準とする立場まであり、三パーセンタイルを基準値とすれば、昭和四五年の厚生省統計によれば、男児の出生体重平均が三二五〇グラムであるから、その三パーセンタイル値は二三九〇グラムとなり、それ以下がSFD児となる。

(二) SFD児と低血糖症との関係

SFD児は、臨床的には、胎盤機能低下に起因した母体内での栄養補給障害による胎児栄養失調(栄養障害)児と、妊娠早期の発育阻害因子によるもので胎児発育不全と称せられる児とに大別され、低血糖症に罹患しやすいのは、SFD児の中でも、胎児栄養失調の場合の児である。また、出生体重の点では、文献及び被告の経験によると、二四〇〇グラム未満の児が低血糖症に罹患しやすい。

(三) 低血糖症と脳性麻痺との関係

新生児の低血糖症そのものが原因で脳障害が生ずるかどうかに関し、学説上も結論が出ていない状態であり、少なくとも無症候性低血糖症ないし軽度で一過性の低血糖症により重度の脳性麻痺になる可能性は否定すべきである。

2  早期発見治療の懈怠について

(一) 出生までの義務違反について

昭和五八年九月二二日に被告が初めて原告花子を診察した時、同人の子宮底長値は二二・五センチメートルであつた。後述のように、真の分娩予定日は産婦人科四位例病院の四位例章医師(以下「四位例医師」という。)の算定した分娩予定日よりも一ないし二週間遅いと考えられるが、被告が子宮底長を小さめに計測する傾向がある点にも照らすと、四位例医師の算定した分娩予定日に基づいて同日が妊娠二九週としても、原告花子の子宮底長は正常な範囲内である。

そして、九月二二日から一一月一五日までの子宮底長の増加は標準以上であつた。

一一月二二日、同月二九日の子宮底長は前回受診日よりも減少しているが、同月二九日現在で、原告花子に妊娠中毒症や糖尿病はなく、胎盤機能も正常だつたのであるから、右の子宮底長減少の原因は、原告花子が初妊娠であつて、胎児であつた原告一郎の児頭が下降したためである。すなわち、一般に胎児発育は三六週ころから緩慢になり、また、初妊娠においては妊娠第一〇月に入ると児頭が下降を始め、児頭が下降すると子宮底長は小さくなるという知見があり、このとおりに児頭が下降していたためである。

したがつて、被告には、SFD児の出生を予見することは不可能だつたのであり、右予見可能性を前提とする原告ら主張の義務違反はない。

(二) 出生以降の義務違反について

(1) SFD児概念を前提とした診療義務は、当時の医療水準からは生じないこと

SFD児概念は、一つの概念としては知られているが、絶対的ないし確定的な決定基準が確立されているわけではなく、また、産科医療の実際の臨床においては、これらの基準は余り応用されていない。

医療の現場では、一般的にSFD児概念の重要性、有用性に対する認識は薄く、新生児治療及び看護におけるルーチンの一部として胎児発育曲線を毎日の診療に活用している病院は少ないのが現状である。

(2) 原告一郎はSFD児には該当しないこと

ア 原告一郎の在胎週数について

一般に在胎期間の計算は必ずしも正確にできるものではない。特に、原告花子は妊娠当時月経不順であり、最終月経開始日(昭和五八年二月九日)から分娩予定日を算出することが不可能であつたため、被告の前医である四位例医師が子宮の大きさから分娩予定日を一二月五日と推算し、被告はこれを引き継いだ。

ところが、原告花子は同年四月五日に清水産婦人科で受診しており、その時は尿の妊娠反応(ゴナビスライド法)は陰性であり、内診によつても妊娠所見は認められなかつた。右ゴナビスライド法は妊娠五週では必ず陽性反応となり、妊娠四週でもほぼ陽性反応がでるとされているから、少なくとも四月五日は妊娠四週六日以前であり、分娩予定日は一二月七日以降となる。

したがつて、原告一郎の在胎週数は、四〇週一日ではなく、三九週六日以内であり、在胎三八ないし三九週となる。

イ 出生時の臍帯の処理について

被告医院においては、新生児娩出直後に臍帯を鉗子で挟んで胎盤から出生児への血液移行を最小限度となるように阻んでいるので、その結果、出生児の体重は右の方法をとらない場合に比べて約四〇ないし八〇グラム少なくなる。したがつて、一般のデーターと比較する場合、右の体重差分を加算して検討すべきであり、本件においてこれを加算すると、原告一郎の出生体重は約二五二〇グラムないし二五六〇グラムであると考えるべきである。

ウ 以上の検討から、SFD児の基準につき、一〇パーセンタイルの基準をとればもちろんのこと、船川の基準をとつても、昭和五九年三月の厚生省ハイリスク児管理研究班発表の在胎別体重基準によると、在胎三八週で二三六〇グラム未満、三九週で二四八〇グラム未満でSFD児と判定されるのであるから、原告一郎の出生児体重を約二五二〇グラムないし二五六〇グラムと考えれば、原告一郎が在胎三八週でも、三九週でも、SFD児には該当しないこととなる。また仮にSFD児に該当するとしても、ごく軽度のものといえる。

(3) 仮に原告一郎がSFD児に該当するとしても、被告には、原告一郎につき原告らが主張するような血糖値を数時間ごとに検査するなどの義務はない。

ア 著しいSFD児の場合は別として、すべてのSFD児において血糖検査をすべき義務まで存在するとはいいがたい。被告本人の経験及び馬場一雄(日本大学教授)の見解では、一応およそ二四〇〇グラム未満の男児の場合、血糖検査を考慮すべき目安になるが、画一的に一定の体重以下の場合に検査しなければならないのではなく、個々の具体的状況に応じてその必要性を判断すべきである。

イ また、低血糖症は、SFD児全てにではなく、SFD児の中でも胎盤機能低下に起因した母体内での栄養補給障害による栄養失調(栄養障害)児に限つて発生しやすい。本件の場合、原告花子に妊娠中毒症や糖尿病がなく、胎盤機能の低下もなく、また原告一郎は身長に比して体重の少ない痩せた栄養失調児ではなく、身長・体重のバランスのとれた児であつた。そして正常分娩で出生体重が二四八〇グラムあり、一般状態に異常を認めなかつたのであるから、低血糖症のリスクの少ない児であつたということができ、出生直後及び出生後数時間ごとに血糖値の検査をすべきであつたとはいえない。また、後述のとおり、原告一郎の哺乳開始の時期も標準であり、哺乳量も基準以上であつたことから、ミルクの誤飲によるチアノーゼが発生して授乳を制限するまでの間には低血糖症が生ずる可能性はなく、血糖値検査をする必要はなかつた。

2  早期栄養補給の懈怠について

(一) 原告一郎の哺乳状態

(1) 原告一郎は一二月六日に正常分娩により出生し、異常所見はなかつた。

被告医院は原告一郎に対し、出生当時(六日)の二三時にブドウ糖を一〇シーシー投与し、翌七日にはミルクを一回平均二〇シーシーを投与したが、原告一郎の哺乳態度には異常はなく、嘔吐などもなかつた。八日も一三時までミルクを一回平均三三シーシーを投与した。被告が一一時に原告一郎を回診をした際に異常を認めなかつたので、被告は一三時からは母親自身による哺乳を開始することを許可した。そして原告花子は同日一三時にミルクを三〇シーシー、一六時にミルクを一〇シーシー、一九時にミルクを五シーシー投与した。

また、原告花子の母親等から原告一郎が母乳やミルクを飲まないとの相談は受けたことはない。

(2) 原告らは原告一郎がミルクをこぼしてばかりいて殆ど飲んでいなかつたと主張するが、哺乳瓶は、乳児が乳首を吸わなければミルクが出ない構造になつているし、十分にミルクを摂取していたことは、同原告が正常な体重の経過を示していたことからも裏付けられる。

(3) 以上のとおり、原告一郎の哺乳状態は十分であり、原告一郎がチアノーゼを起こすまでの栄養補給の点で被告に落度はない。

(二) 原告一郎のチアノーゼについて

被告は、原告一郎は一二月八日の二三時にチアノーゼを起こしたと記憶しており、仮に原告ら主張のとおり一九時にチアノーゼを起こしたとすれば、二回チアノーゼを起こしたこととなるが、原告一郎はそれまでミルクを十分に摂取していて低血糖状態ではなかつたこと、二回とも授乳開始直後にチアノーゼが発生したこと、二回目については看護婦がすぐに吸引処置をしたところ容易にチアノーゼが消失したこと、その後チアノーゼが再発していないことに照らすと、一回目、二回目のチアノーゼとも低血糖症に起因するものではなく、ミルクの気道内誤飲によるものであると考えられる。

現に被告は二三時の時にはミルクの誤飲によるチアノーゼであると判断し、吸引処置のあと観察しやすいように原告一郎を裸にして保育器に収容して保温と酸素を与えながら観察することとした。

以上のとおりの経緯であり、原告一郎はチアノーゼ発生時には特段飢餓状態にあつたわけでもないから、被告には、チアノーゼ後、九日八時過ぎまでの間、原告一郎に対し早期に栄養補給を行う義務はなかつた。

(三) 九日の検査及びその結果被告がとつた処置について

被告は九日の八時三〇分ころ、原告一郎の血糖値を検査し、その結果血糖値が低かつたので直ちに同原告にブドウ糖を投与した。

3  因果関係について

(一) 原告一郎は低血糖症に罹患していなかつたこと

被告は、一二月九日八時過ぎころに原告一郎に対しDX法により血糖検査を行つた。低血糖症の診断方法としては、DX法の他にグリコースオキシダーゼ法(以下「GO法」という。)があり、GO法は血糖検査では最も信頼できる方法であるが、煩雑であることから、簡単にできる方法として考案されたのがDX法である。DX法はGO法よりも血糖値が低くでる傾向がある(特に、血糖値が四〇ミリグラム/デシリットル以下ではその差が大きくなる。)が、新生児の場合にはむしろ血糖値が低く出た方が低血糖状態を見落とす危険がないので、新生児血糖検査のスクリーニング法として汎用されている。

DX法は、試薬と血液の反応による呈色を標準の色と比較して血糖値を推定するものであるが、本件での血糖検査の結果は、二五ミリグラムの色調と〇ミリグラムの色調との間でどちらかといえば〇ミリグラムの色調に近く、色調を定量的に数値で表現できないから、被告はカルテに「血糖値ほぼ〇ミリグラム/デシリットル」と記載したものである。

DX法では、全く呈色しなかつた場合のみ低血糖と推定し、少しでも呈色すれば低血糖である可能性は少ない。本件では呈色はしたのであるから、原告一郎は低血糖症には罹患していなかつた。

(二) 仮に低血糖状態であつたとしても軽度で一過性のものであつたこと

原告一郎は一二月八日の夜にミルクの誤飲を起こすまではミルクの摂取量は十分で全身状態も良好だつたのであるから、血糖検査で血糖値が低めに出たのは、ミルクの気道内誤飲によるチアノーゼを起こしてから授乳を控えたための一時的な飢餓状態が原因であると考えられ、とすれば、低血糖状態も一時的で一過性のものであつたとみるべきである。

(三) 低血糖症と脳性麻痺の因果関係

脳性麻痺の発生原因と考えられるものは非常に多く、原因不明のものもかなりある。

本件の場合は、低血糖症ではなく、仮に低血糖であつたとしても一過性で軽度なもので臨床的に問題にされるものではなかつたのであるから、本件脳性麻痺の原因は低血糖症ではない。

可能性として考えるならば、本件の場合、分娩前の感染(周生期障害)ないし頭蓋内出血が考えられる。

4  チアノーゼ以後の被告の説明について

一二月一一日、被告が原告らの親族に対し低血糖の説明をし、ブドウ糖の点滴をしたので心配要らないだろうと言つたものであり、脳の障害は残らないとは言つていない。

第四  争点に対する判断

一  本件の経過

前示事案の概要で述べた事実に、以下摘記の証拠及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実関係が認められる。

1  被告医院に入院するまでの経緯

原告花子は、五月一三日ころ、四位例医師から妊娠三か月で一〇週目であり、分娩予定日は一二月五日であるとの診察を受けた。その後、四位例医師から妊娠中毒症の予防のために塩分を控えるようにと指導されたり、膣炎に罹患し治療したことはあつたが、妊娠経過は順調であつた。原告花子は里帰り出産を希望していたので、出産を予定していた病院に慣れるために、九月二二日に初めて被告医院を訪れた(原告花子の供述)。原告花子の妊娠経過にはなんらの合併症(妊娠中毒症や糖尿病等)は認められず、また妊娠後期の胎盤機能検査(次の尿中エストリオール値の検査)の結果も正常であつた。なお、甲第一五号証(被告の診療録)一丁には「胎盤機能不全の疑い」との記載があるが、原告花子は本人尋問において被告からそのようなことを告げられた記憶がないと供述しており、被告本人作成の報告書(一)の四頁、一一頁及び一二頁においても、前示のとおり、一一月二九日と一二月六日に行つた尿中エストリオール値の検査の結果はいずれも正常であつた(胎盤機能不全の症例では異常な低値となる。正常妊娠の正常下限値は一〇マイクログラム/ミリリットルと考えられているところ、原告花子の検査値はいずれも二〇マイクログラム/ミリリットル以上の正常値であつた。)ことから見て、胎盤機能は正常であつたとされており、これらの証拠に照らして、原告花子の胎盤機能は正常であつたものと認めることができる。右診療録の記載は、趣旨が明らかでなく、この認定を妨げない。

2  被告病院に入院してから原告一郎が出生するまでの経緯

原告花子は一二月六日の八時ころ陣痛が始まり、八時三〇分ころ被告病院に入院し、その際、被告との間で本件診療契約が成立した。その後原告花子は、陣痛が弱いので陣痛を促進する点滴を受け、一四時三〇分ころ破水し、一五時五分に原告一郎を出産した。

原告一郎は、出生時、体重二四八〇グラム、身長四六センチメートル、胸囲三一センチメートル、頭囲三三センチメートルであつた。

3  原告一郎が出産してから一二月八日にチアノーゼを起こすまでの経緯

原告一郎は出生後、翌七日の一二時二八分に次の新生児が誕生するまでの間、新生児室の廊下から見て向かつて右側、最も廊下寄りのコット(コットとは新生児用ベッドのことである。以上このコットを「第一コット」という。)に収容されていた。第一コット内の新生児は、コットの真上の天井に設置されているテレビカメラで撮影され、院内に放映される。

六日の二三時に生後八時間で原告一郎に対する授乳が開始された(ただし、この時はブドウ糖液が一〇ミリリットル投与された。)。被告医院の授乳時間は、三時、七時、一〇時、一三時、一六時、一九時、二三時の七回と定められ、生後一日(出生翌日)の授乳は全例新生児室内で看護婦が行うこととなつており、生後二日(出生翌々日)の一三時からは、異常のない児の場合には母親が哺乳室で授乳することになつていたが、二三時と三時の授乳は全例新生児室内で夜勤看護婦が行うこととなつていた。本件においても、八日の一三時に原告花子がひとりで授乳を開始するまでの間、新生児室において看護婦が授乳その他の原告一郎の世話、看護に当たつた。

右により、原告花子は八日の一三時から自分ひとりの授乳を開始した(同日一〇時に練習のための授乳をした。)。同日の一九時の授乳の際に原告一郎はチアノーゼを起こした(原告花子の供述、証人甲野ハナ(原告花子の母。以下「ハナ」という。)、甲野松夫(原告花子の兄。以下「松夫」という。)及び古川多加子の各証言)。その際は、看護婦が二人来て、手足が冷たいからと言つて、原告一郎をあんかで温め、毛布でくるんだ。

次いで、同日二三時ころにも原告一郎はチアノーゼを起こし、被告は原告一郎を裸にして保育器に収容し、酸素を投与した。なお、この二三時ころにもチアノーゼが発生したことに関しては争いのあるところであつて、原告らは、右一九時のチアノーゼの発生時刻を被告がずらせているものである旨反論しているが、ハナ及び松夫の各証言によれば、右両名は八日は二三時ころまで原告一郎を見ていたとはいうものの、その間に被告は来ず、原告一郎は保育器に収容されていなかつたことが認められ、ハナの証言及び原告花子の供述によれば、原告一郎は九日の朝には保育器に収容されていたことが認められるのであるから、二三時ころにもチアノーゼが起き、これに対する処置として、被告が原告一郎を保育器に収容し、酸素を投与することにしたものと認めるのが相当である。

4  血糖値検査から被告医院を退院するまでの経緯

九日の八時ころ、被告は、原告一郎に感染症のあることを疑つて、最初に血液とCRP(反応性タンパクのこと。身体に炎症があれば血液中に出現し、しかもその量は炎症の程度に比例して増加するから、新生児期の感染症のスクリーニング法として広く利用されている。)の検査をした。次に、原告一郎の血糖値をDX法で測定したところ、測定値(単位は、ミリグラム/デシリットル。以下省略することがある。)は〇と二五の間の〇の方に近いという結果であつた。被告は、当日の三時と七時の原告一郎の哺乳状態が不良であつたことから、当初五パーセントブドウ糖五〇〇Aを点滴しようと考えていたが、原告一郎の右血糖値が相当低いものと考えて(この点は、後に更に検討する。)、高濃度のブドウ糖に変更し、二〇パーセントブドウ糖液静注後、高張ブドウ糖液(約一一パーセント液)の静脈内点滴を開始した。それと同時に感染症に対する抗生物質を投与した。

一〇日の朝と一一日の朝の血糖値は、いずれもDX法で四五ミリグラム/デシリットルと正常値であつたので、一一日には点滴輸液の内容をソリタT3液(維持用電解質に等張ブドウ糖液を加えたもの)に変更した。

一二日、哺乳力不良が続いて経口でミルクを投与することが困難であつたので、鼻からカテーテルを胃の中へ挿入・留置して、このカテーテルを通してミルクを直接胃の中へ注入する経鼻カテーテル栄養を開始した。一三日には哺乳力不良がやや改善されミルクの経口投与の見通しがたつたので、点滴輸液と経鼻カテーテル栄養を中止した。(以上につき、《証拠略》)

三一日、原告一郎は被告医院を退院した(当事者間に争いがない。)。

なお、原告一郎の低血糖症が症候性のものであつたか、無症候性のものであつたかについては、当事者間に争いがある。すなわち、哺乳力不良、チアノーゼ及び痙攣は、低血糖症とされているものであるが、原告らは原告一郎には哺乳能力不足、チアノーゼ、痙攣があり、これらは本件低血糖症の症状の現れであると主張し、被告は痙攣は起きておらず、哺乳力不良やチアノーゼは低血糖症により生じたものではないと主張する。しかしながら、後述のとおり(二項3(二)参照)、出生後一二時間以内に起きてすぐ回復する低血糖症(後述のコーンブラスの分類によるカテゴリー{1}を除き、低血糖症に罹患すれば、それが症候性であれ、無症候性であれ、脳性麻痺等の後遺症を残す危険が高いものと認められるところ、原告一郎の低血糖症は少なくとも生後六〇時間以上経過した時点で認められるのであるから、前記カテゴリー{1}に属する低血糖症に該当しないことは明らかであり、そうだとすれば症候性か無症候性かを論じる意味は全くない。したがつて、この点については、更に論じないこととする。

5  原告一郎が被告医院を退院してから現在に至るまでの経緯

原告花子は、原告一郎の発育状態が気になり、療育相談のため、度々保健所等を訪れたが、昭和五九年六月一二日に金沢市元町保健所で療育相談を受けた際、金沢大学医学部付属病院で検査を受けるように指示され、原告一郎を連れて同月二一日に同病院を訪れた。同月二七日、原告一郎は、同病院の入道秀樹医師(以下「入道医師」という。)から触診等の診察を受けるとともに、生化学検査を受け、七月一八日に同病院において、脳の断層写真と脳波の検査を受けた。右診察及び検査によると、姿勢反射に異常があり、筋肉特に上肢の緊張が高く、断層写真によると脳の前頭部から側頭部にかけて脳の軽度な萎縮が認められ、脳波検査によると脳の後頭部に異常波が認められた。同日、入道医師は、SFD児であつたことによる低血糖の後遺症ではないかとの診断を行い、県立中央病院に対する紹介状を書いた。(以上につき、《証拠略》)

その後原告一郎は、県立中央病院へ通院ないし入院し、同年一一月三〇日に石川県中央児童相談所の診察を受けて障害の程度Aとの判定を受け、療育手帳の交付を受けた。また昭和六二年二月六日には、石川整肢学園勤務の医師辻成人診断による身体障害者・意見書によつて、石川県から低血糖後遺症による体幹(一級)及び四肢機能障害、失語症で一級障害との認定を受け、身体障害手帳の交付を受けた。(以上につき、《証拠略》)

6  右の原告一郎の症状をより具体的に見ると、次のとおりである。

右のとおり、原告一郎は、昭和五九年七月一八日に、金沢大学医学部付属病院で検査を受け、脳の断層写真によれば前頭部から側頭部にかけて脳の軽度な萎縮があり、脳波検査によつても脳の後頭部に異常波が認められ、脳に器質的障害があつたことが認識され、同病院入道医師から発育遅滞の診断を受け、さらに昭和六二年二月六日には、石川県から低血糖後遺症による体幹(一級)及び四肢機能障害、失語症で一級障害との認定を受け、身体障害者手帳の交付を受けた。その現状は、本件脳性麻痺により、自力で立つことも座ることもできず、自力で食事をとれないのはもとより、摂取及び嚥下動作が未熟であり、自力で用便もできず、また日に何回もてんかんの発作を起こし、大きな発作の場合には舌などを噛みきらないようにする処置などが必要で、全面的な介護を要する。発語はブーブーという程度で単語がなく、母親とのコミュニケーションもほとんどできず(精神発達遅延による失語症)、精神運動発達のレベルは一歳未満の中でも低く、脳性麻痺としては最も重い程度に属し、以上のような状況については今後大きな改善の見込みはなく、原告一郎は今後も生涯にわたり日常生活の全般について、母親である原告花子や他人の介護を必要とする。(以上につき、前認定事実、《証拠略》)

二  SFD児と低血糖症及び脳性麻痺の関係

被告の債務不履行ないし過失を検討する前提として、SFD児と新生児低血糖症及び脳性麻痺との関係について、検討する。

1  SFD児の概念について

(一) 本件では、満期正常分娩の場合において、出生した新生児の状態、特に体重がどの程度であれば、原告らが主張するような診療、治療義務が医師に要求されることになるのかが本来の問題であつて、SFD児の概念ないし定義如何は直接の問題ではないが、当事者双方ともSFD児概念について主張しており、被告の義務違反の存否の判断とも密接に関係するので、まずこの点についての当裁判所の見方を示しておくこととする。

(二) 以下摘記の各証拠によれば、以下の医学的知見が認められる。

一般に、出生体重の小さい新生児ほど新生児期に種々の合併症を惹起しやすく、また死亡率も高いといわれ、一九五〇年のWHOの勧告以来、出生体重が二五〇〇グラム以下のものは未熟児とされ、出生体重がそれ以上の新生児と区別されて、危険の高い新生児(ハイリスク児)として扱われてきた。しかし、出生体重が二五〇〇グラム以下であつても、その在胎期間によつては未熟でないもの含まれうるので、WHOは、一九六一年に、出生体重が二五〇〇グラム以下のものを未熟児とするのではなく、低出生体重児とすることを勧告し、このころから在胎期間の割に出生体重の小さい新生児が注目されるようになつた(以上につき、《証拠略》)。

そして、グルエンウォルドらの胎児栄養障害の概念が広く支持を得るようになつて、出生体重と妊娠期間とを関連させて研究することの重要性が認識されるようになつた。

一九六三年に、アメリカのルブチェンコらは、出生体重と妊娠期間を関連させたパーセンタイルによる在胎週別体重曲線を発表し、標準体重の一〇パーセンタイル値以下をSFD児と分類することを提案した。そして、アメリカの胎児新生児委員会において、右の胎内発育曲線の一〇パーセンタイル値以下をSFDと命名したことにより、アメリカではSFD児の基準としてこの一〇パーセンタイル値を用いるのが通常となつた。(以上につき、《証拠略》)

わが国では、船川幡夫が昭和三九年に在胎週別出生体重曲線を作成し、出生時体重基準よりマイナス3/2σ以下(《証拠略》によると、標準体重から標準偏差(standard deviation・その省略形はSD。統計的処理により、本件の場合は、例えば三九二グラムというように、グラム単位で表現される。)の一・五倍値を控除した体重より軽いという意味であり、マイナス一・五SDと表すことができるので、以下「マイナス一・五SD」以下と表すこととする。)をSFD児と規定した。船川のマイナス一・五SDはルブチェンコの一〇パーセンタイル値にほぼ相当し、わが国ではこの船川の在胎週別体重曲線によるSFDの定義が広く使用されてきた(以上につき、《証拠略》)。

その後、わが国では、仁志田博司が別の胎内発育曲線を作成するなどしたが、昭和五八年、基準の統一のために、厚生省ハイリスク児研究班が、胎内発育曲線を作成し、新生児期における異常発生頻度の検討から、マイナス一・五SD以下をSFD児とするのが適切と判断し、昭和五九年にその結果を発表した。

以上の知見から、わが国では、原告一郎が出生した昭和五八年一二月時点においては、船川の在胎週別出生児体重曲線によるマイナス一・五SD以下を、現在では、船川ないし厚生省ハイリクス児研究班作成の胎内発育曲線によるマイナス一・五SD以下をSFD児と規定する考え方が一般的であると認められる。

(三) これに対し、被告は、本件当時、SFD児の決定基準値は、研究者(発表者)によつて様々であり、標準偏差のマイナス一・五倍を基準値とすれば、SFDに該当する場合が多くなり、標準偏差とパーセンタイルのいずれを使用すべきか、更にその限界をどこにおくのかは、未だ検討中の段階であつて、SFD児概念は新生児医療において実地診療に活用されるに至つていなかつたと主張し、右主張に沿う証拠として乙第六号証六頁、第五三号証二〇五頁、第五四号証九〇頁、第五五号証などを挙げる(証拠摘示は、《証拠略》による。)。

しかしながら、乙第六号証六頁においても、筆者(坂上正道他)は、わが国では前記船川の胎内発育曲線のマイナス一・五SDをSFDの基準に用いることが多いと認めた上で、この基準だとSFD児が多くなりすぎてしまうと指摘して、アッシャー他の三パーセンタイル説を紹介しながらも、基準についてはなお検討中である旨述べているのであり、わが国では船川の基準が一般的であることがその前提とされている。

また、乙第五三号証も、わが国においては、船川の基準を用いることが一般的であると認めた上で問題点を指摘するに過ぎず、乙五五号証はSFDの基準を問題とした文献ではないので、結局、被告の右主張に沿うのは、乙第五四号証のみである。

一方、本件当時ないしそれ以前において、わが国ではSFD児の基準として船川の胎内発育曲線によるマイナス一・五SD以下という基準が一般的に使われていたことについては、本件証拠上その旨の記載のあるものだけでも多数にのぼる。

以上から、その相当性につき多少の疑問が提起されたことがあつたにしても、本件当時、船川の基準によりSFD児かどうかを判断するという見解が多くの医学書に記されており、これに従うのが一般的であつたといえる(このこと自体は、現在でもさほど変わつていないようである。)。

なお、被告は三パーセンタイルを基準値としてSFD児の限界値を算出してみせるが、本件証拠上、三パーセンタイルを基準値とするのはアッシャーのみであつて、学説上一般的には受け入れられていないことに照らして、本件当時一般的であつた前記船川の基準を排斥してまでアッシャーの基準を採用しなければならないような合理的理由はなかつたものというべきである。

2  SFD児と低血糖症の関係

(一) 《証拠略》、SFD児と低血糖症との関係につき論じている各証拠を総合すると、SFD児は低血糖症に罹患しやすいこと、その原因は、学説上、必ずしも十分な説明がなされていないが、研究者間でほぼ共通の見解と考えられるのは、SFD児には肝グリコーゲン貯蔵量や脂肪組織が欠乏しており、また糖の新生の効率が悪いことが多く、一方新生児期は代謝が活発であり(疾病があれば特に代謝が亢進する。)、特に脳代謝は大量の糖を必要とするので、グリコーゲンないしブドウ糖の需要に供給が追いつかず(出生直後の新生児は生活に必要なエネルギー源を糖質に依存している。)、低血糖症に陥る危険性が高いというものであること、以上が認められる。

右のような原因に照らすと、SFD児の中でも、特に出生体重の少ないものや、胎盤機能の低下した母体から出生したものはもちろんのこと、そうでなくともSFD児一般につき低血糖症に陥りやすいことが容易に理解される。そして、学説上も、前記摘記した証拠の他、この点に関し本件において証拠として提出されたほとんどの文献は、原告一郎出生の前後を通じて、すべてのSFD児を低血糖症のハイリスク児としており、SFD児の一部に限定していない。また、前記厚生省ハイリスク児研究班も、新生児低血糖症を含めたすべての症状を考慮にいれた上で、マイナス一・五SD以下をハイリスク児であるとして、SFD児と見ることとしているものである。

したがつて、SFD児については、その一部ではなく、すべての児が低血糖症に罹患する高い危険性を有しているというべきである。

(二)(1) この点について、被告は、経験上、低血糖症のハイリスク児として注意すべき児は、SFD児の中でも、<1>胎児栄養失調徴候や胎盤機能不全徴候を持つた児、<2>妊娠中毒症・糖尿病を合併していたり、尿中エストリオール値低下などの胎盤機能の低下した母体から生まれた児、<3>右の<1>、<2>に該当しなくても、出生体重が三パーセンタイル値以下の児、以下の<1>、<2>、<3>の三類型に限定されるべきであるとし、その根拠として、乙第二二号証、第四九号証、第五〇号証、第六二号証、第六三号証、第一一七号証の一及び二、第一一八号証など若干の文献をあげる。

(2) そこで、まず、右<1>、<2>について検討するに、《証拠略》によると、ルブチェンコとバードは、一九七一年に、三〇ミリグラム/デシリットル以下の低血糖を呈する頻度の調査結果を発表し、SFD児には二五パーセントが低血糖を生じたと発表したが、同時に出生時の栄養失調の程度と低血糖との関係も調査し、低血糖症になつた児には、胎内での栄養失調状態が認められ、このことは体重/身長比で確認されたと結論付けている。更に《証拠略》によると、小宮弘毅らは、SFD児と胎児発育不全と胎児栄養失調の二つに大別し、子宮内発育遅延の原因と所見(仮説)と題する表を作成し、右表において、低血糖症を胎児栄養失調の症状としている。

また、乙第五〇号証の一は、「SFD児の問題点」と題するジョーンズとロバートンの論文(同号証の二はその邦訳)であるが、次のように述べる。すなわち、SFD児は、体重と同様に身長も小さいグループと、身長は正常だが体重の小さいグループとに分けられ、後者のグループは皮下脂肪は少なく、皮膚は乾燥してしわだらけで、「クリフォード症候群」と呼ばれる。前者のグループは、肝グリコーゲンの貯蔵の減少したクリフォード症候群を呈する児よりも低血糖症に罹患しにくい(イエライらの知見)。したがつて、出生体重が三パーセンタイル値未満か、三パーセンタイル値以上であつてもクリフォード症候群を示す児は、低血糖症に対するリスクを持つていると考えられる。ケンブリッジ・マタニティー・ホスピタルでは、ルーチンとして、マイナス二SD(三パーセンタイル値に相当する)未満の児を低血糖症に対するリスクを持つた児として選別する。以上より大きなSFD児は、なんら血糖値のチェックは受けないが、この群の児には低血糖症によると考えられる症状は全く認められなかつた、というのである。

右各文献は被告の主張に沿うものではあるが、以下の理由により、これをもつて直ちに被告の主張を採用することはできない。

すなわち、右の乙第五〇号証の論文は一九八四年に発表されたものであるが、その発表後は、アメリカではクラウスがSFD児全般につき低血糖症を予測して予防すべきであるとの見解を述べ、わが国の文献中にも、本件証拠で見る限り、乙第五〇号証の論文発表の前後を通じて、乙第二二号証を除き、乙第五〇号証と同様の見解を主張するものは見当たらない。そもそも、一九八四年の時点において、(イギリスの)標準的な教科書類によれば、一〇パーセンタイル値未満の児については血糖値測定をすることとなつているのであるから(ジョーンズらの同じ論文。甲二八号証の一、二(二は一の訳文))、イギリスでは従来SFD児の基準として一〇パーセンタイル値を採用し、SFD児一般に低血糖症のリスクがあるので血糖値検査をする必要があると考えられていたのであり、ジョーンズらがSFD児の中でも低血糖症のリスクのある児は限られるとの見解を示してみたものの、結局ジョーンズらの見解は必ずしも受け入れられず、世界的にはなおSFD児一般に低血糖症のリスクがあると考えられているとみるのが相当である。

以上により、乙第二二号証、第五〇号証、第一一七号証をもつてしても、低血糖症のリスクについて、SFD児のうち、胎内栄養失調児を格別取り上げるという見解は、到底採用できない。

さらに他の文献について検討するに、乙第六二号証は、今日ではPDS(胎盤機能不全症候群)、dysmaturity(子宮内発育障害児)という言葉の他に、SFD児という言葉も使われていることを説明したにすぎないし、乙第六三号証は、低血糖症が糖尿病の母に生まれた児や胎盤機能不全症候群の児などに見られると述べるだけで、SFD児と低血糖症との関係について述べたものではないし、また、乙第四九号証は、SFD児を低血糖症のハイリスク児と記載した上で、低血糖症に罹患する児は妊娠中毒症や胎盤機能不全症を伴うことが多いと述べるにすぎず、乙第二二号証は、特に体重と在胎期間のアンバランスの程度の高い高度SFD児(特に一八〇〇グラム以下)は低血糖症となる頻度が高いこと、SFD児の成因のひとつとして胎盤・臍帯の異常があるということを述べているにすぎないのであり、いずれも被告の主張を裏付けるものとはいえない。

また、本件各証拠中には、低血糖症との関係で、被告主張の右<1>、<2>の要因を挙げるものもあるが、それは、SFD児とは別個独立に、低血糖症のハイリスク児として、<1>、<2>の新生児を挙げているにすぎない。

したがつて、SFD児の中でも胎児栄養失調や胎盤機能不全の徴候をもつた児、胎盤機能の低下した母体から生まれた児を取り上げて(被告主張の右<3>の点は除いて)低血糖症のハイリスク児として注意すべきだとする被告の主張は採用できない。

(3) 次に被告主張の<3>の点について検討すると、まずアッシャーの提唱にかかる三パーセンタイル値(約マイナス二SD)については批判があり、もともとわが国では採用されていなかつたところ、昭和五九年に厚生省ハイリスク児研究班がSFD児の基準としてマイナス一・五SDを採用するのが相当である旨の発表をしたことは前述のとおりであり、今日でも、また昭和五八年当時においても、三パーセンタイル値は低血糖症へのリスクの基準として考えられていなかつたものである。

また乙第一一八号証は、平成元年一月二一日に開催された日本周産期学会第七回学術集会記録集の抜粋であるが、この文献によると、北里大学病院の緊急治療室へ入院したSFD児を対象として、SFD児を更に分類し、低血糖症の発生頻度を調査したところ、妊娠週数三七週以上では、マイナス一・五SDからマイナス二・五SD間だと二・九パーセント、マイナス二・五SD以下だと四・一パーセントであつたというものである。しかし右文献内においても記載されているように、妊娠週数三七週以上、マイナス一・五SD未満マイナス二・五以上のグループは院内出生の場合は、二三〇〇グラム以上あれば入院の対象とならないし、院外出生の場合は、更に選択されて入院依頼がなされているものと考えられ、緊急治療室へ入院するには至らないまま、低血糖症に罹患してしまつたが大事に至らずに見過ごされてしまつた例や、あるいは、適切な血糖値検査や栄養補給等を受けた結果低血糖症を免れ得た例も、相当数あるものと推測される。したがつて、この文献によつて、妊娠週数三七週以上、マイナス一・五SD未満マイナス二・五以上のグループに属するSFD児が低血糖症に罹患する可能性が少ないと断定することは到底できない。

さらに、乙第七号証(馬場一雄編著「新生児・未熟児の取扱い」の抜粋)も、特に三パーセンタイル以下につき厳重に注意すべきであるとしているが、その一方で、一〇パーセンタイル以下についても一応問題にして検討すべきであるとしており、一〇パーセンタイル以下のSFD児をハイリスク児から除外する趣旨ではない。このことは、甲第六二号証(同じ馬場教授編著の「綜合周産期医学」の抜粋)の一五六頁の表一に、新生児期に異常が起こる頻度が特に高いと考えられる児として、出生体重二五〇〇グラム以上のSFD児をも含めている(乙第七号証二一頁の昭和四五年の厚生省の調査によると、男児の三パーセンタイル値は二三九〇グラムである。)ことからも、容易に裏付けられる。

被告は自己の基準を裏付ける証拠として、昭和五九年一月一日から昭和六二年一二月三一日までの間に被告医院において出生した児のうち、出生体重二四〇〇グラム以上二六五〇グラム未満で出生した児は約一二〇名であるが低血糖の治療をしたものはなかつたという資料を提出するが、右資料によつても右一二〇名中船川の基準でSFD児にあたる児がどの程度であつたかは不明であるばかりではなく、「低血糖で治療したもの」とはどの程度の治療をしたものを指すのか明らかではなく、右資料をもつて、出生体重二四〇〇グラム以上のものは低血糖症に陥るリスクが少ないとは、断定できない。

そして、《証拠略》によると、被告は昭和五二年ころから、船川の基準でSFD児を選別し、該当する児の低血糖症の発生を予防していたが、船川の基準ではSFDに該当する児の多く、格別の症状もないのにその全例について血糖検査をするのは保険診療では認められなかつた由である。しかし、そのことが被告が低血糖症のハイリスク児として前記<1>ないし<3>の基準を確立する契機となつたものであり、かつ、仮にルーチンの血糖検査が保険診療で認められなかつたとしても、これによつて低血糖症のハイリスク児の範囲を狭く限定することには、合理的理由を認めることはできない。けだし、被告は右<1>ないし<3>の基準を確立するにあたり文献の調査をしているわけではない(このことは、被告も本人尋問において認めるところである。)し、そもそも新生児の健全な発育を企図してSFD児なる概念を設定している以上、十分な医学的根拠なくして勝手にその範囲を狭めることは理不尽であるからである。

(三) 以上の次第であつて、原告一郎出生時においても、また現在においても、SFD児一般につき、低血糖症のハイリスク児であるととらえるのが相当であり、かつ、これが原告一郎出生当時以降の産婦人科医の一般的知見であつたと考えるのが相当である。

3  低血糖症と脳性麻痺の関係

(一) 本件においても証拠として提出されたほとんどの文献によれば、SFD児は、低血糖症に罹患しやすく、これに罹患した場合には脳性麻痺等の後遺症を残す危険が高いことを前提として、血糖値検査が必要であるとされる(《証拠略》)。

(二)(1) この点に関し、被告は低血糖状態が一過性であれば、脳性麻痺等の後遺症を残さないとする趣旨の主張をし、また、特に無症候性の低血糖症は脳性麻痺等の後遺症を残す危険はないと主張する。そこで、低血糖症を分類し、分析的に検討することとする。

(2) 低血糖症の分類については、コーンブラスによるものが代表的なものであつて、証拠として提出された多くの文献において引用されているところである。コーンブラスは、低血糖症をその成因及び重症度により、次の四つのグループに分類している。

ア カテゴリー{1}(早期一過性低血糖症)

低血糖は生後一二時間以内に多くみられ、周生期ストレス、栄養開始の遅れ、糖尿病母体の新生児などによる。高張糖液の補液を必要とせず無症候性(血糖値が低下するだけで何ら症状を示さない。)一過性で、予後良好である。

イ カテゴリー{2}(二次性低血糖症)

他の疾患や病的状態により二次的に起こる低血糖症で、低血糖の補正後も症状が持続するが完全な改善がみられないもの

ウ カテゴリー{3}(古典的一過性症候性新生児低血糖症)

低血糖の症状が出生直後から生後七二時間以内にみられることが多く、低出生体重児(SFD児を含む。)、母親の妊娠中毒症、周生期仮死にみられ、検査上多血症や低カルシウム血症を伴つている場合も多い。ちくでき(クローヌス。不随意でリズミカルな筋収縮運動が連続して現れてくることをいう。)、チアノーゼ、痙攣、無呼吸発作、無気力、脳性のかん高い泣き声、または弱い泣き声、哺乳障害などの症状を示す。神経学的後遺症(脳性麻痺を含む。)の可能性もあり、積極的な治療を必要とする。なおコーンブラスはこの類型に属するもののうちにも二二パーセントは「無症候性」のもの(前記症状が見られないものの意と解される。)があるとしており、無症候性のものを含めて脳性麻痺等の可能性もあることを指摘している。

エ カテゴリー{4}(反復性持続性重症低血糖症)

高濃度のグルコース点滴にもかかわらず低血糖症の持続するまれな疾患であり、非常に重篤で脳障害及び生命の危険がある。先天性糖代謝異常やアミノ酸代謝異常などに伴う。

(3) 右コーンブラスの分類及び見解によれば(先にも述べたとおり、右分類は多くの文献に引用されており、医学上多くの支持を得ているものと推認される。)、生後一二時間以内に低血糖状態になりすぐに回復するカテゴリー{1}の場合は別として、カテゴリー{3}の低血糖症の場合には(他の疾患がない場合にSFD児が罹患する低血糖症はカテゴリー{1}かカテゴリー{3}に限られている。)、それが一過性であるにもかかわらず重篤な後遺症を残す危険を有するところに特徴があり、そうだからこそ、これまで述べてきたようにSFD児をハイリスク児として選別すべきであるとされているのであるから、低血糖状態が一過性であれば脳性麻痺等の後遺症を残さないという被告の主張は採用できない。

確かに、被告が指摘するように、一過性低血糖症の場合につき、脳性麻痺等後遺症を残す危険が高いとの見解に疑問を呈する説もないわけではないが、右乙第五一号証によつても、一過性低血糖症の予後についての諸家の意見は、症候性では、ジェンツが二五パーセント、ハワードが六一パーセント、コーンブラスが三三パーセント、無症候性では、ジェンツが〇パーセント、ハワードが一六パーセント、コーンブラスが二〇パーセントの割合で、それぞれ脳障害を残すというものであり(但しコーンブラスは発表の段階ではないとしている。)、これらの諸家の意見や一過性でも危険が高いとする他の多くの文献に照らして、被告の指摘する右所説はごく少数説にとどまるといわざるを得ない。

次に、無症候性の場合には脳性麻痺等の後遺症を残す危険はないとの被告の主張について検討すると、右コーンブラスの分類及び見解によれば、カテゴリー{3}に属する低血糖症には、それが症候性であれ無症候性であれ脳性麻痺等の危険があるものとされる。また、低血糖症から脳性麻痺が発生するその発生機序が必ずしも明らかになつておらず、多くの文献は、症候性・無症候性の如何を問わず対応すべきものとしている。したがつて、SFD児に関する限り、前記カテゴリー{1}に属する場合を除き、低血糖症は脳性麻痺等の後遺症を残す危険が高く、このことはその低血糖症が症候性であると、無症候性であるとを問わないものというべきである。

(三) 以上のとおり、SFD児においては、コーンブラスのいうカテゴリー{1}に属する低血糖症の場合を除き、低血糖症に罹患すると、それが一過性であれ、無症候性であれ、脳性麻痺等の後遺症を残す危険が高いこと、そしてそれが原告一郎出生当時の一般産婦人科医の知見であつたことが認められる。

三  原告一郎出生までの被告の債務不履行ないし過失について

原告らは、原告花子の子宮底長が小さく、被告は出産以前にSFD児出生の予見が可能であつたことを前提として、被告は事案の概要摘示の措置を講ずるべきであつたと主張し、被告はこれを予見することはできなかつたと主張する。そもそも、四以下で述べるとおり、本件にあつては、原告一郎がSFD児に該当し低血糖症に陥らないように注意すべき児であることは、その出生後、被告において、容易に認識できたものであり、かつ、この出生後原告一郎に対してすべきであつた医療行為は被告医院においても十分に可能であつたのに、被告の落度によりこれを怠り、これにより原告一郎が脳性麻痺に罹患したことが認められる以上、出生前の右予見の可能性の存否は、本件の結論を左右しないものというべきであるが、説明の都合上一応の判断をしておく。

1  《証拠略》によると、原告花子の子宮底長の変化は、別紙第一のとおりであつたことが認められる(なお、原告花子の妊娠週数についても争いがあるが、ここでは原告らに有利に、原告らの主張に従つておく。)。

2  右により、原告花子の子宮底長の変化と妊娠週数に伴う子宮底長の標準値を比較すると、妊娠三五ないし三六週ころからの原告花子の子宮底長が標準値よりも低くなつている。

3  そこで右事実をもつて、SFD児が出生することが予見可能であつたかどうかが問題となるところ、この点につき、被告は、(一)被告が子宮底長を小さめに計測する傾向があること、(二)原告花子は妊娠第一〇月に入り児頭が下降を始めたために子宮底長が小さくなつたと考えられたことから、SFD児が出生すると予見することはできなかつたと主張する。

4  そこで検討するに、以下摘記の各証拠によると、原告花子は一一月八日から児頭が骨盤腔に下降し、同月一五日には児頭が殆ど固定し、同月二二日には児頭が骨盤腔に更に深く下降して固定したこと、児頭の下降度は初産婦の分娩開始時と同程度であり、原告花子の場合、通常の初産婦に比べて児頭が骨盤腔内深くまで下降していたこと、一般に胎児が下降している場合には子宮底長は小さめになることが認められる。以上の事実から、原告花子の子宮底長が妊娠三五週ころから標準値に比べて小さかつたのは、児頭がかなり下降していたためであると推認される。

一方、胎内発育遅延の可能性が高いのは、子宮底長が妊娠二八週で二二センチメートル未満、二九週で二三センチメートル未満、三〇週で二四センチメートル未満、三二週で二六センチメートル未満であるとされているところ、原告花子はこれには該当しない。

そうすると、妊娠三五週ころからの原告花子の子宮底長の変化によつて胎内発育遅延などのSFD児出生の原因を予見することは著しく困難であつたというほかないから、被告において、原告一郎に出生前に原告らが主張するような措置をとるべき義務があつたとは容易に認め難いことになる。

また、そもそも前記のとおり、SFD児に該当するからといつて、直ちに異常というものではなく、単に一定の危険性を内包しているので出生後一定の慎重な医療措置を講ずるべきであるというにとどまるものであるから、本件のような場合、一般産婦人科医にあつては、原告らが主張するような措置を講ずる義務までは負つていないものというべきである。すなわち、前示のSFD児の定義からして、SFD児それ自体は、例えば一〇パーセンタイルというような割合で、日常的に出生するものであるから、要はその出生後適切な医療措置を講ずれば足りるものであつて、通常のSFD児の予見可能性自体を論ずることは、一般論としても、本項の冒頭に述べた本件の事案との関係においても、医師の過失を論ずるに際して、さほどの意味を有しないものというべきである。ひつきよう、原告一郎は、二四八〇グラムの体重で生まれたのであり、それ自体では何ら異常ではないのであるから、仮に出生前にこれを予見したからといつて、それだけで、医師において、出生前に格別の医療手当てをすべき義務があつたとはいえない。

5  以上により、原告一郎出生前ないし出生中の段階で、被告において原告らが主張するような措置をとるべき義務があつたとは認めることができないので、この義務のあることを前提とする原告らの主張は、採用することができない。

四  出生後の早期発見治療に関する被告の債務不履行ないし過失について

1  右二に検討したところから、新生児の中でも特にSFD児については、出生後低血糖症に罹患しやすく、罹患した場合には、早期にこれを発見し治療をしないときには、脳性麻痺などの重篤な後遺症を残す危険があり、このことは産婦人科医ないし周産期医学に関与する者に広く知られていた知見であるから、被告は、本件診療契約上の義務として、また新生児の安全を確保するべき産婦人科医として、新生児がSFD児であるかどうかを早期に見極めた上、SFD児である場合には、出生後低血糖症を予防し、或いは低血糖症を早期に発見して適切な治療を行うために、出生後早期から血糖値を経時的に測定する義務があつたものと認められる。

SFD児に対し経時的な血糖値検査の必要性を論じた文献は、原告一郎出生前に発表され、本件証拠として提出されたものだけでも多数にのぼる。

2  新生児の血糖値検査には、一般にDX法が用いられる(当事者間に争いがない。)。DX法とは、新生児のかかとを穿刺して湧き出る血液をデキストロスティックスの検査用濾紙に染み込ませ、その六〇秒後に濾紙についた血液を洗い落とした上、この濾紙の色をデキストロスティックスの瓶に添付されている診断用の比色ラベルと対比して、血糖値を判定する方法である。DX法については、低血糖域における判定の正確性に問題はあるものの、方法の簡便さから経時的な血糖値検査には不可欠な方法とされる。

DX法による血糖値検査の頻度については、文献等により違いがあるものの、前掲各文献に照らして、SFD児に関しては、少なくとも出生後一日内には一回は行い、かつその新生児の状態を総合観察した上で適宜経時的な血糖値検査をする必要があることは、原告一郎の出生当時、一般開業医たる産婦人科医を含めて周産期医学に関わる医師によく知られていた知見であると認められる。したがつて、本件に則して被告の義務を具体的にいえば、SFD児が出生した場合には、少なくとも出生後一日内に一回はDX法により血糖値検査を行い、更に必要な経時的検査を行つて、もし低血糖ないし低血糖症の疑いを認めた場合には、ブドウ糖液の点滴を行うなどして、低血糖症の発現ないし低血糖症に起因する障害の発現を未然に防ぐ義務があつたものと認めるのが相当である。

ちなみに、前掲入道医師は、同人が勤務する金沢赤十字病院においては、新生児は生まれた直後から小児科が診ており、SFD児の場合には、生後四時間、半日、次の日と、二日間位にかけて三、四回血糖値検査をしていること、ただし、同病院においてこのような扱いがされるようになつたのは、昭和五八年か五九年ころからであると聞いていること、同人の経験として、開業医が新生児に対し血糖値検査をしているのは見たことがなく、(しているという話も)あまり聞かないこと、SFD児というだけでは健康保険により血糖値検査ができず、そのため「低血糖症の疑い」という名目で血糖値検査をしていること、以上の趣旨を証言している。この証言は、一面被告に有利に理解しうるけれども、SFD児につき、原告一郎の出生当時、前示のような知見が前示医師の間に既に一般的に知られていたものであることを何ら覆すものではないから、この知見の状況からして、医師においては、SFD児に対して適切な診療をすべき義務を負つていたことは、多々論ずるまでもない。

3  被告は、SFD児に対する治療義務の内容につき、原告一郎出生当時、その基準として何を採用すべきかは検討中の段階であり、また在胎週数の計算自体が必ずしも正確でないことなどとあいまつて、胎内発育曲線は日常の実地診療に活用されるに至つてはいなかつた。社団法人日本母性保護医協会発行の研修ノート(以下「日母研修ノート」という。)は、産婦人科臨床医が日常の治療基準として使用しているものであるところ、妊娠週別出生時体重が日母研修ノートに掲載されたのは昭和六二年一一月発行分が初めてであり、このことは前記実地診療の状態を裏付けるものであると主張する。また、富山県の代表的な病院において、SFD児という理由でルーチンに血糖値検査をしているところはないので、SFD児一般につき経時的な血糖値検査は不必要であるとも主張する。

しかしながら、まず、前記のとおり、原告一郎出生前に発表され、本件証拠として提出された数多くの文献に、SFD児に経時的な血糖値検査が必要である旨の記載があり、それらは一般の開業医でも容易に知りえた情報である。のみならず、そもそも被告は、経時的な血糖値検査が必要であることを知つていたからこそ、昭和五二年ころから同五四年末ころまで原則としてSFD児の全例につき二四時間以内に血糖値検査を行つてきたのであるから、原告一郎出生当時、一般論としてばかりではなく、右のような認識を有する被告にも、SFD児に対する経時的血糖値検査を行うことが当然要求されていたものと認めることができる。この点に関する日母研修ノートへの掲載時期や富山県の医療機関の大勢がどうであろうと、被告に要求される義務に変わりはないというべきである。DX法という簡易な方法によつて、脳性麻痺という重大な結果を回避することができることを考え併せるとき、産婦人科医を職業とする被告に対してSFD児につきDX法によつて経時的な血糖値検査をする義務を要求することは決して酷なことではない。

4  そこで、原告一郎がSFD児であつたかどうか、ないしは、被告において原告一郎をSFD児ないしその疑いがある児と見るべきであつたかどうか(その上で、前記のような検査等の診療をすべきであつたかどうか)につき、検討する。

(一) 原告一郎の在胎週数について

(1) 以下摘記の各証拠により、次の事実が認められる。

昭和五八年四月五日、原告花子は生理の遅れに気付き、清水産婦人科医院を訪ねたところ、妊娠していないとの診察を受けた。その際、同医院では、妊娠検査に持田製薬の後記ゴナビスライドを使用したが、陰性の反応であつた。しかし、原告花子は、同年二月九日以来月経がなく、実際には、原告一郎を妊娠していたものである。(以上につき、《証拠略》)

その後、原告花子は五月一三日に四位例病院へ行き、四位例医師から、妊娠三か月目で一〇週目であり、出産予定日は一二月五日である旨の診察を受けた。原告花子は生理不順気味であつたので、四位例医師は妊娠の通常の検査と内診により、妊娠週数を判定した。

四位例医師の診療録によると、子宮の大きさにつき、五月一三日は「ut a fist」、六月一〇日は「ut child」、七月六日は「ut adult」と記載されており、それぞれ手拳大、小児頭大、成人頭大という意味と理解される。その後の子宮底長は別紙第一のとおり変化した上、一二月六日一五時五分に原告一郎が出生した。

(2) 被告が主張する右清水産婦人科医院におけるゴナビスライドの陰性反応からの妊娠週数の推定に関しては、以下のとおりに考えるのが相当である。

まず、検査の原理と信頼度について見るに、妊娠後しばらくすると、妊婦の尿中に絨毛性ゴナドトロピン(絨毛性性線刺激ホルモン。以下「hCG」と略す。)が排泄されてくることから、これを免疫学的に反応させ、妊娠の有無を診断することができる。ゴナビスライドというのは、持田製薬株式会社が右原理を応用して昭和四六年の少し前ころに開発した妊娠検査のための試薬であり、陽性反応が妊娠を示す。

問題はゴナビスライドの信頼度ないし的中率であつて、本件にあつては、妊娠満何週ないし第何週目から必ず陽性反応を得られる検査かであるが、《証拠略》を総合すると、満六週ではほぼ一〇〇パーセント陽性となり、満五週三日以降からもほとんどの事例でほぼ陽性となるが、逆に、右五週三日以内の妊娠に関しては、検査方法が適切であつても陰性反応を示すことがありうるものと見るのが相当である(甲第七三号証によれば、「諸家の報告でも、妊娠六週以降にはじめて九五ないし一〇〇パーセントの的中率である」とされており、また、五週一日の場合四例中二例が陰性反応で、四週〇日ないし六日の場合の的中率は平均三三・三パーセントという検査結果であつた由である。)。この点につき、乙第一一九号証五〇ないし五二頁によると、「妊娠五週」の六例につき全て陽性を示したとあるところ、同書証は同四六年に発行された文献の抜粋であつて、昭和五三年までは妊娠週数を数えで表現しており、昭和五四年から満週数で表現されるようになつたので、右「妊娠五週」というのは「妊娠満四週」に理解すべきである由(被告の供述)であるが、仮にそうであつても、その後の検査報告(昭和六〇年発表)である甲第七三号証において、右のとおり、満四週〇日ないし六日の場合の的中率は平均三三・三パーセントであつたと報告されている以上、直ちに乙第一一九号証の右記述を採用することはできない。

したがつて、前記のとおり、原告花子は昭和五八年四月五日のゴナビスライド法による妊娠反応テストが陰性であつたから、この時点では、妊娠五週三日以前であつたものと考えるのか相当である。しかし、そうであるからといつて、原告一郎が出生した一二月六日は、被告が主張するような在胎三八週(遅くとも三九週)と推定することには全然理由がなく、むしろ在胎四〇週であつた可能性が十分にあるものと考えるのが相当である。そもそも被告の主張は、右四月五日の時点で、妊娠四週六日以前であるから、原告一郎は在胎四〇週一日ではなく、三九週六日以内に生まれたというにすぎず(在胎三八週、遅くとも三九週と推定することは、論理の飛躍である。)、右「妊娠四週六日以内」という前提が「五週三日以内」に変われば、当然に在胎四〇週の可能性が十分にあることになる。

(3) 内診ないし子宮底長からの妊娠週数の推定に関しては、以下のとおりである。

五月一三日、四位例医師が原告花子の子宮の大きさを内診により確認したところ、手拳大であり、四位例医師は原告花子の妊娠週数を一〇週と判断した。

子宮の大きさを内診で判断した場合の正確性は、あまり高くなく、大体の見当をつける程度のものであり、目安としては手拳大で妊娠一〇週とする文献もあるが、一か月ごとに鷲頭大、手拳大、新生児頭大(或いは小小児頭大)などとしている文献も多く、かなり幅のある診断であると考えざるを得ない。したがつて、五月一三日に子宮の大きさが手拳大であるとの診断を受けたとしても、正確に妊娠一〇週目であると考えるべきではなく、一ないし二週間のずれはあるものとみるべきである。

また、子宮底長の増加にしても、個人差があり、一ないし二週間のずれがあつても正常な子宮底長の範囲に入つているので(別紙第一)、子宮底長の増加の点から原告花子の正確な出産予定日を確定することはできない。

したがつて、四位例医師が出産予定日を一二月五日と推定したことを過大に評価すべきではないが、原告一郎が一二月六日に出生したことからして、右推定が的中したものと見るのが相当であり、少なくとも、同医師の診断を前提としてこれを引き継いだ被告においては、原告一郎は満期で出生したものと考えるべきであつたし、現実にそのように、すなわち在胎四〇週で出生した可能性が十分にあると被告自身も考えていたものと認めるのが相当である(被告の供述によつても、原告一郎の出生当時、原告一郎が在胎四〇週で出生した相当の可能性があることを否定するだけの客観的確実な根拠があつたわけではないのであるから、当然に右可能性が十分にあるものと考えたはずであるといえる。)。

(4) 以上検討したとおり、原告一郎出産時の原告花子の妊娠週数については、客観的に見て四〇週である可能性が十分に認められるとともに、被告も自認するとおり、被告が原告花子の診断を開始した段階では在胎期間を確定することは不可能であつたというのであるから、原告一郎がSFD児に該当するかどうかの判断にあたつてはむしろ在胎期間を長くみてSFD児に該当する可能性を広くとるべきであつたということができる。

(二) 原告一郎の出生体重

原告一郎の出生体重が二四八〇グラムであつたことについては、当事者間に争いがない。

なお被告は、SFD児該当性の要素としての原告一郎の出生体重をみた場合、被告医院では出生直後に臍帯を鉗子で挟んで胎盤から児への血液の移行を最小限となるよう阻んでいるので、出生体重は四〇ないし八〇グラム少なくなつており、この分を加えて検討すべきであると主張する。

しかしながら、臍帯結紮の方法については、児娩出後直ちに行うか、胎盤の血管内に含まれる血液が十分に新生児に移行してから行うかの二つの方法があるところ、教科書類には双方の方法が併記されているだけで、いずれが優れているかについては記載されていないので、一般に、産科医師ないし病院ごとに、いずれかの方法が採用されていたものと考えうる。したがつて、胎児発育曲線作成の基となるデータ中には、被告医院のような早期臍帯結紮の方法により測定した出生体重も相当数含まれていると考えられるので、前記損失分を加えた体重をもつて、前記胎児発育曲線と比較し、SFD児該当性を判断すべきであるという被告の主張は、採用することができない。

(三) 原告一郎のSFD児該当性

(一)で検討したとおり、原告一郎は在胎四〇週で出生した可能性が十分にあつたのであるから、SFD児の危険性に照らすと、原告一郎のSFD児該当性の判断に際しては、在胎四〇週における基準により決するべきであり、かつ、被告もそのような基準で判断すべき義務があつたと認めることができる。

そして、原告一郎出生当時においては、前述のとおり、SFD児の基準は在胎発育曲線の標準偏差のマイナス一・五SD以下とすべきであつて、原告一郎出生当時わが国では、やや古いが前記船川が昭和三五年ないし三六年に東京都内で出生した在胎週数別出生時体重から求めた発育曲線に従つて、在胎四〇週の場合は二六三〇グラム以下と見るのが一般的であつたといえる。なお、「胎児臨床問題委員会」が全国一二大学の一万四二二九例について調査し、昭和五〇年に発表した在胎週数別生下時体重曲線の標準値も多く用いられており、これによつても、約二六三〇グラム以下がSFD児に該当するものとされていたものである。以上は、次の厚生省ハイリスク児研究班の研究のように新生児が男か女か、初産かどうかなどの区別はしていないが、原告一郎出生当時は一般に前二者の研究成果が利用されていたものである。

ちなみに、厚生省ハイリスク児研究班が昭和五八年に在胎週数の正確な五六〇八例を基にして、昭和五九年に発表した出生時体重基準値(したがつて、原告一郎の出生当時は、被告は知らなかつたはずであるが、発表後においては、SFD児基準を決するにつき、わが国で最も権威ある研究結果であると考えられる。)によつても、初産男児の場合、四〇週で二五六〇グラムである。

したがつて、出生体重二四八〇グラムの原告一郎はSFD児に該当するというべきであり、かつ、原告一郎の出生当時被告もそのように判断すべきであつたと認めることができる。

5  血糖値検査を九日八時までしなかつたことに対する判断

以上の次第であつて、原告一郎がSFD児であり、被告においては、原告一郎をSFD児として前記3のような検査等の診療をすべきであつて、少なくとも出生後一日以内に血糖値検査をする義務があつたところ、被告はこれを行わなかつた(血糖値検査を九日八時すぎまで、すなわち原告一郎の出生後約六五時間経過するまでしなかつたことについては、当事者間に争いがない。)のであるから、被告には、まず、この検査義務違反の点で医師としての落度があつたことになる。これは、本件診療契約違反でもあり、不法行為責任の原因たる過失にも該当するものである。

右落度と関連する早期栄養補給の懈怠については、次に項を改めて更に検討することとする。

五  早期栄養補給の懈怠について

1  原告一郎が出生してから、チアノーゼを起こし、血糖値検査を受けるまでの経緯につき、当事者間に争いのない事実、以下摘記の各証拠及び弁論の全趣旨によると、次のとおりの事実が認められる(一部、前出)。

(一) 被告医院では、生まれたばかりの新生児は、次の児が生まれるまで、第一コットに収容する。第一コット内の児は、天井に設置されているテレビカメラで撮影され、院内放映される。

被告医院では、新生児室での児の世話・看護はすべて看護婦が行つており、出生当日及び生後一日(出生翌日)の授乳は、看護婦が新生児室で行う。授乳時間は三時、七時、一〇時、一三時、一六時、一九時及び二三時の七回である。生後六時間後の最初の授乳時間にはブドウ糖水一〇シーシーを投与し、その後は右授乳時間にあわせて授乳を行う。生後二日の一三時の授乳以降、異常のない児の場合には、母親が哺乳室で授乳する。ただし三時と二一時の授乳は母親に代わつて夜勤看護婦が行うこととなつている(以上前出。《証拠略》)

被告医院では、看護婦が授乳する場合、看護婦の人数の関係から、一人一人の児を看護婦が最初から抱いて最後まで授乳するのは困難であつたので、看護婦は、最初は児をコットに寝かせたまま哺乳ビンを児の口元へ持つていき、児が哺乳瓶の乳首をくわえ、乳首を吸い、流出したミルクを飲み込むのを確認した後、折り畳んだ布で哺乳ビンを固定してから、次の児へ移るという方法をとつていた。そして看護婦は、児が上手に哺乳できない様子であれば一人一人抱いて哺乳させ、哺乳が終わつた後は全部の児についてその上半身を立たせた状態にして背中をさすりながら排気をさせて授乳を終わるという方法をとつていた。(以上につき、《証拠略》)。

原告一郎も一二月六日一五時五分に出生後、次の児が出生した七日の一二時ころまで第一コットに収容されていた。被告医院は、六日の二三時に生後八時間で授乳を開始し、ブドウ糖液を与えた。そして七日は、被告医院の基準どおり、看護婦が新生児室において、各授乳時間に原告一郎に授乳を行つた。被告医院では、生後二日迄は、哺乳瓶に五〇シーシーのミルクを入れ、それ以後は七〇シーシーのミルクを入れて授乳する。なお原告一郎の体重は、出生時は二四八〇グラム、七日は二四九〇グラム、八日は二三八〇グラムであつた。

(二) 七日の七時に原告花子が、同日九時にハナが、新生児室の窓越しに、原告一郎の様子を見たが、原告一郎は寝てばかりいて、顔色も悪かつた。七時の授乳時、看護婦は原告一郎の顔を手で触つて起こし、口にミルクを突つ込んで与えた。その際、看護婦は一定量を原告一郎が飲み終わるまで見守つているわけではなく、また一人の看護婦が何人かの児へ授乳していた。原告一郎は吸うのが下手で、ミルクをダラダラとこぼしていた。(以上、《証拠略》)。

原告花子及びハナは七時の授乳時間以外の授乳時間にも、原告一郎の様子を見に行つたが、ミルクを飲ませても、口からこぼしている状況であつた。

(三) 原告花子は、八日の七時の授乳時間に原告一郎を見に行つたが、原告一郎は相変わらずじつとして寝てばかりいて、看護婦が授乳しても、口からミルクをこぼしていた。同日一〇時に授乳の練習のため、原告花子が初めて原告一郎に授乳をしたが、その際も顔色はさえず、じつと寝ており、起こすと弱々しく泣き、母乳を吸わせても乳首に吸いつかず、ミルクを飲ませたところ、いつたん吸つたが、嫌がつて弱々しく泣いて、その後口からミルクをだらだらこぼした。原告花子は、母乳もミルクも飲まないので、看護婦に飲ませてもらつたが、看護婦が飲ませても、原告一郎はやはり嫌がつて、吸つても口からミルクをこぼしてばかりいた。

同日一三時の授乳からは、原告花子がひとり授乳することとなつたが、この授乳の際も、乳首に吸いつかないので母乳を与えることはできず、ミルクをやつたが、やはり、乳首に吸いつかせても、嫌がつたり、口からミルクをこぼし、一旦口は動かし少しは飲むが、口からミルクをだらだらとこぼす状態であつた。

右一三時の授乳後、原告花子は、原告一郎が母乳もミルクも飲まないことをハナに相談し、ハナは、同日一五時から一六時の間に被告が原告花子の回診をした直後に、このことを被告に相談したが、被告は心配ないと答えるのみであつた。ハナは心配だつたので、看護婦にも、原告一郎にしつかりミルクを授乳してくれと頼んだ。

同日一六時の授乳の際にも、原告一郎は寝てばかりで、母乳もミルクも飲まなかつたが、授乳時間の制限があつたので、原告花子は看護婦にそのことを告げて授乳室を退室した。

(四) 同日一九時の授乳では、原告花子はまず最初に母乳を与えようとしたが、原告一郎は乳首に吸いつかず、次に哺乳ビンでミルクをやつてみたが、ほとんど飲まず、少しして母乳を吸わせたところ、原告一郎は顔色が赤紫色になつて、手足を震わせ、ぐつたりし、更に顔色が真つ青になつた。周囲にいた人が異変に気付き、看護婦を呼び、看護婦が二人来て、原告一郎を授乳室から診察室へ連れて行き、あんかで温めて毛布にくるんだ。この時は、看護婦の治療のみであり、被告は治療していない。(以上につき、《証拠略》)。

原告花子は心配だつたので、同日一九時三〇分ころ、実家に電話をかけ、事情を説明したところ、原告花子の両親と兄の松夫が二〇時ころに被告医院へ駆けつけた。原告花子、同人の父親及び松夫は廊下から原告一郎の様子を見ており、ハナは新生児室へ入つた。看護婦は最初はあんかで温めていたが、その後湯たんぽに切り替えた。その後原告花子は二二時ころ病室へ戻つたが、両親と松夫は二三時ころまで新生児室の前の廊下にいて、ずつと原告一郎を見守つていた。原告花子の両親と松夫は、被告医院へ着てから帰るまで、被告とは会わなかつた。

(五) 同日二三時の授乳時間に看護婦が原告一郎に授乳しようとしたところ、原告一郎はチアノーゼを起こし、被告は看護婦からの連絡により分娩室へ駆けつけたが、駆けつけた時には、右チアノーゼは、看護婦のカテーテルによる口腔・鼻咽喉吸引処置により、既に消失していた。被告は、原告一郎に見られたチアノーゼは短時間で、一過性のものであり、看護婦の吸引処置のみによつて容易に消失したものであり、その他の異常症状や異常所見はないものと認めて、ミルクないし吐物の気道内誤嚥によるものと判断した。その上で被告は、「保温のためと、観察に便利なため、原告一郎を保育器に収容する。チアノーゼは消失しているが、念のため、酸素を投与する。」等の指示を看護婦に与えた。

(六) 以上認定の事実関係によると、原告一郎は、遅くとも出生二日目(一二月七日)の午前中から哺乳不良状態を示し、この状態は八日午後まで続き、その上で八日の一九時及び二三時にはチアノーゼを起こしたことが認められる。

しかるに、被告医院は、右八日一九時の授乳時から九日八時過ぎまで、原告一郎に対して栄養補給を行わず、九日八時過ぎころ初めて血糖値検査をし、八時二〇分ころ、初めて高張ブドウ糖の輸液を行つたものである(この点は、当事者間に争いはない。)。

2  これに対し、被告は原告一郎の哺乳不良を争い、原告花子及びハナの原告一郎はミルクをこぼしてばかりいたという供述は信用できないとしてさまざまな点を指摘するが、以下のとおり、いずれも採用できない。

(一) 診療録の授乳量の記載について

被告は、被告医院の原告らのカルテにおける授乳量の記載を根拠として、原告一郎は十分ミルクを飲んでおり、哺乳不良ではなかつた旨主張する。

この授乳量の記載は、別紙第二のとおりであるところ、新生児への基準哺乳量は、生後一日目は三ないし四時間ごとに一〇シーシー、生後二日目は三ないし四時間ごとに二〇シーシーが適当であるから、右授乳量の記載が真実であれば、原告一郎は八日一三時までは、ほぼ基準量以上のミルクを飲んでいたことになり、到底哺乳不良とは言えない。

しかしながら、右授乳量の記載の信用性については、以下に述べるような疑問がある。すなわち、被告医院における授乳量の記載は、被告も認めるように、授乳前後の哺乳ビン内のミルクの量の差を認めて記入するものであり、実際原告花子は、八日の一〇時の授乳の際に、看護婦が右方法により授乳量を記載するのを見て、それを真似て同日一三時及び一六時の授乳量の記載を三〇シーシー及び一〇シーシーと記載したのであり、原告花子が授乳する以前も右方法により授乳量が記載されていたものと考えられる。そして右方法では、こぼれたミルクの量も授乳量として記載されている分に含まれることとなり、現実に原告一郎がどの程度ミルクを飲んだかは、右記載から直ちに判断することはできない。

したがつて、右授乳量の記載をもつて、原告一郎の哺乳不良を否定する被告の主張は採用できない。

(二) 原告一郎の体重増加

被告は、原告一郎がミルクを十分に摂取していたことは、原告一郎が正常な体重の経過を示していたことから裏付けられる。原告一郎の体重減少をみると、生後一日は〇、生後二日は一〇〇グラム(出生体重の四パーセント)であつて、これは正常範囲内であるから、原告一郎がミルクをこぼしてばかりいたということはあり得ない、もしミルクをこぼしてばかりいて殆ど飲んでいなかつたとすれば、もつと異常に減少していたはずであると主張する。

《証拠略》によると、原告一郎の体重は、出生一日目は二四九〇グラム、出生二日目は二三八〇グラムである(三日目から七日目までの記載はない。)。

文献によると、生後三日ないし四日は、摂取水分が排出水分(尿や呼気中への排出)を下回るため、体重の減少がみられ、これに胎便の排出や胎脂の脱落などが加わつて、いわゆる生理的体重減少が起きる。生理的体重減少の程度については、定説はなく、通常出生体重の七パーセントといわれるが、一〇パーセントを越す例も必ずしも病的ではない、低出生体重児は生理的体重減少が大きく、出生体重の一〇パーセントほどの体重減少をみるのが普通であるという見解がある一方、通常は出生体重の五パーセント程度の減少で、一〇パーセントを越える場合は異常であるとの見解もある。

右を要するに、原告一郎の生理的体重減少については、生後二日目までの記録しかないため、一般例との比較が困難であるばかりか、排尿が少ないという特殊性もあるため、右二日間の体重の変動の程度をもつて、原告一郎が十分ミルクを飲んでいたことの証左と考えることはできない。

(三) 被告は、哺乳瓶の性能及び新生児の哺乳障害の態様からして、原告一郎がミルクをこぼしてばかりいたということはあり得ないと主張する。すなわち、哺乳瓶は単に傾けただけでは瓶の中のミルクが流出しないようになつており、児が積極的に乳首を吸わない限りミルクは出てこない。また、新生児の哺乳は、口の周囲を刺激すると刺激された方へ口を向ける(追いかけ反射)、口に入つたものを唇でとらえる(吸いつき反射)、口の中に入つてきたものを吸引する(吸乳反射)、吸乳反射によつて口の中に入つてきたものを飲み込む(嚥下反射)という動作から成り立つところ、原告一郎の口の中にミルクが入つていつたということは、追いかけ反射、吸いつき反射、吸乳反射の一連の反射運動が行われていたことの現れであり、嚥下反射のみ欠如し、ミルクをこぼしてしまうことは考えられないというのである。

しかしながら、以下摘記の証拠によると、次の事実が認められる。

すなわち、右当時被告医院が使用していた哺乳瓶及び乳首の製造元であるピジョン株式会社のお客様相談室室長である藤本忠義は、平成二年八月に、被告から、哺乳瓶にミルクを入れて倒立しておくとミルクが全部出てしまうのかとの相談を受け、同年九月七日に実験(以下、「本件実験」という。)を行い、実験結果を報告書としてまとめた。本件実験は、被告から聴取した、被告医院における通常の授乳状態と同様の条件で行うために、室温二六度、湿度五五パーセント、使用した哺乳瓶は「KR-一〇〇」という製品、乳首は「KRステレオSサイズ」の製品(乳首のサイズについては、ジス規格に穴の小さい順にS、M、Lと決められている。)、調乳したミルク量は五〇シーシー、ミルクの温度は五〇度と四五度とした。そしてSサイズの中でも乳首の穴の大きさの違う三つのものを使用し、哺乳瓶を垂直に倒立させてまず三秒後の流出を求め、次いで四分後にもう一度倒立させ、乳首からのミルクの滴下が停止してから流出量を測定した。本件実験の結果、哺乳瓶を倒立させると同時にミルクは流出し、四分後の全流出量は、四五度の場合には平均二・七グラム、五〇度の場合には平均三・二グラムであつた。また、哺乳瓶内のミルクが自然に流出し、自然に止まる理由は、哺乳瓶の中の空気が外気よりも高い温度に温められ、内圧が外の気圧よりも高い状態になつているので、外気の圧力と釣り合うまでは自然に流出し、釣り合えば自然に止まるものと考えられ、そうであれば、穴の大きさや哺乳瓶の倒し方によつてミルク流出の速度は変わるが、流出量には有意的な差はないものと考えられる、というのである。(以上につき、《証拠略》)

右によれば、哺乳瓶を倒しただけではミルクは出ないとする被告の主張は失当であり、原告一郎が哺乳瓶の乳首を吸わないにもかかわらず、一定量のミルクは流出するものと考えられる。

また、文献によると、新生児の哺乳障害についても、吸いつき反射や吸乳反射はあるものの、乳首に上手にからめなかつたり嚥下が上手にできない、哺乳拙劣という場合もあることが報告されており、原告一郎が哺乳瓶からミルクを吸つたものの嚥下できず、口からこぼしていた可能性を否定することはできない。

したがつて、原告一郎の授乳に際して、原告一郎が吸わなくても哺乳瓶から一定量のミルクが流出した可能性が十分に認められ、また原告一郎がある程度ミルクを吸つたものであつても、嚥下できず、口からミルクをこぼしたことがあり得ることが認められるから、哺乳瓶の性能及び新生児の哺乳障害の態様の点からして原告一郎がミルクをこぼした可能性はないとする被告の主張は、にわかに採用できない。

(四) 被告は、ハナが、七日の授乳の際、廊下から新生児室を見ていても、原告一郎のミルクがなかなか減つていなかつた旨証言していることにつき、授乳中哺乳瓶を斜めに傾けると、五〇シーシーのミルクの殆どが不透明な乳首の部分に入つてしまい、近くで見ても瓶の中のミルクの減り具合は見えないので、同証言は信用できないと主張する。

《証拠略》によると、確かに身長一六〇センチメートルの人の視線で廊下から窓越に最も近いコットにいる児を観察した場合、ミルクが不透明な乳首の部分に入つてしまつて、ミルクの残つている状態を見ることはできないようにも思われる。

しかしながら、原告一郎出生時に、新生児室の一番廊下寄りのコットが右写真と同様の位置にあつたとは限らない上、右写真はコットのほぼ真横の位置から児を写したものであるが、ハナが真横から見ていたとは限らず、むしろ、原告一郎の様子をよく見るために、斜め横から見たり(斜め横から見た方がミルクの減り具合はよくわかる。)、背伸びして見たりしたことが考えられ、また、視線を哺乳瓶と同じ高さにすると、瓶を傾けても、瓶の透明な部分からミルクの減り具合を見ることができることを考え併せると、前示被告援用の事情をもつて、ハナはミルクの減り具合を見ることができなかつたはずであると断定することはできない。

(五) 更に被告は、原告花子が、七日及び八日の七時の授乳の際、新生児室にいる原告一郎の様子を見たと供述していることにつき、被告医院において新生児室の廊下側のカーテンは一〇時に開けて二一時に閉めることとなつており、また右カーテンは厚手であり、しかも真ん中の合わせ目に隙間ができないように、二列のカーテンレールをだぶらせてあるので、カーテンの隙間から新生児室内を覗くことは不可能であり、七時の授乳時間に新生児室内の原告一郎の様子を見ることはできず、右供述は信用できないと主張する。

しかしながら、カーテンの開閉時間については、前記認定のとおり、八日二〇時ころ原告花子の両親と松夫が被告医院を訪れた際、二三時ころまで廊下から新生児室内を見ることができたことに照らすと、仮に一応開閉時間が決まつていたとしても、厳格に運用されていなかつたものと思われる(新生児室は哺乳室と異なり中が見えては困るということはない。)。また、原告一郎出生当時の右カーテンの生地につき、家具屋「株式会社米三」の営業マン御旅屋忠明は、報告書において、被告医院の改築工事はすべて株式会社米三が請け負い、内装工事としては、新生児室のカーテンを、昭和五六年に厚地の花柄のものから厚地の王朝柄のものに取り替え、その後同六三年五月に右王朝柄から無地のレース地に取り替えたとするが、仮に右報告書のとおりであつたとしても、カーテンの閉め方によつては、新生児室の中を見ることはできる。

結局、七時の授乳時間に原告花子が新生児室内の原告一郎を見ることはできなかつたはずであると断定することはできず、被告の主張は採用できない。

(六) また、被告は、ミルクをだらだらとこぼしたとなると、その後始末は大変であり、授乳を途中で中断して着物を着替えさせるために看護婦に肌着の取り替えを頼まねばならず、これは授乳を始めたばかりの母親にとつてはかなりショッキングな出来事であり、当然明瞭に記憶されるはずであるにもかかわらず、この点についての原告花子の記憶は全く曖昧であり、そのことは、現実に原告一郎がミルクをこぼしてばかりではなかつたことの現れであると主張する。

原告花子のこぼしたミルクの後始末についての供述は、確かに被告が主張するように極めて曖昧なものである。しかしながら、こぼれたミルクの後始末としては、ハンカチやタオルで拭くか、原告一郎の服が濡れたとすれば服を着替えさせるだけのことであり、それ自体としては何ら特別のことではない上、原告花子にとつては原告一郎がミルクをこぼして飲まないということの方がショッキングな出来事だつたのであり、原告一郎出生から約五年一一か月経過した本人尋問の時点においてこの点についての記憶が曖昧であつたとしても、特別に不自然であると断定することはできない。よつて被告の主張は採用できない。

(七) また、被告は、原告一郎がミルクをこぼしてばかりいて飲んでいないとすれば、看護婦がその旨を授乳量の記録の際に記載するはずであり、それがないということは、原告一郎が原告らが主張するようにミルクをこぼしていなかつたことの現れであると主張する。

しかしながら、まず八日午前七時までは看護婦が授乳したが、その時点では、まだ授乳量がさほど多くない上、前記認定のように、看護婦はひとりの児がミルクを飲むのをずつと監視しているわけではないので、看護婦が見ていない間に原告一郎の口からこぼれたミルクが、哺乳瓶を支えているタオルにしみ込んでしまうことも考えられ、看護婦がミルクのこぼれたことに気付かない可能性も高い。また、甲第五号証一七頁の授乳量等の記載(別紙第二)を見ると、記載が抜けている部分もあり、右看護婦の授乳方法も考え併せると、看護婦が授乳に関する問題点を遂一記載するような体制であつたとは到底考えられない。したがつて、授乳量の記録中にミルクをこぼしていた旨の記載がないからといつて原告一郎がミルクをこぼしていなかつたものと推認することはできず、被告の主張は採用できない。

3  被告の義務違反

右1に認定したとおり、原告一郎は遅くとも出生二日目の七日午前中から哺乳力不良状態を示し、右状態は八日午後まで続き、八日の一九時及び二三時にはチアノーゼを起こしたものである。医師たる被告には、出生した新生児に必要十分な栄養を補給する義務があるところ、原告一郎は右に認定した状態にあり、かつ原告一郎は前記のとおりSFD児に該当し、SFD児は低血糖症に罹患しやすいので特に早期に栄養補給が必要であつたのであるから、被告としては、早期に原告一郎への授乳を開始し、原告一郎の哺乳状態に注意し、哺乳力不良の場合には経消化管輸液等の栄養補給を行うなどして、原告一郎が飢餓状態に陥らないようにし、もとより、チアノーゼ等低血糖症の危険を示す徴候があつた場合には、なおさら早期に栄養を補給する義務を負つていたものである。しかるに被告は、前記認定のとおり、原告一郎がSFD児に該当することないしその可能性が十分にあることを漫然看過し、血糖値検査を怠つた上で、これに対し経口授乳のみを行い、原告一郎の栄養不良に気付かず、また特に八日一九時から九日の八時過ぎまで原告一郎が飢餓状態にあつたにもかかわらず、経消化管輸液等の栄養補給を全く怠つたものである。したがつて、被告には、前記早期発見義務を懈怠したことに引き続いて、早期栄養補給を懈怠したという本件診療義務違反ないし過失が認められることになる。

被告は、八日のチアノーゼ後の治療義務につき、原告一郎はそれまで十分にミルクを飲んでおり、しかもチアノーゼは単にミルクの誤飲によるものと考えられるから、特に栄養補給をする必要はなかつたと主張する。しかしながら、前記のとおり、それまでの間に原告一郎は哺乳不良により十分栄養補給ができていない状態に既に陥つていたものと認定されるのであるから、仮に右チアノーゼがミルクの誤飲によるものであつたとしても、早期に原告一郎に対し栄養を補給する義務があつたことは、動かないところというべきである。

六  因果関係

1  以上検討したところによると、被告には、原告一郎に対し九日の朝まで血糖値検査を怠つたこととあいまつて、原告一郎の哺乳不良、栄養不良に気付かず、早期に経消化管輸液等の栄養補給をしなかつたという落度が認められるところ、右義務懈怠(以下「本件不作為」という。)と、原告一郎の本件脳性麻痺との間に因果関係があるかどうかを検討する。なお、この因果関係存否の判断に際しては、

(一) 本件不作為から結果までの時間的経過、

(二) 同種の不作為によつて同種の結果が発生する可能性がどの程度存するか(一般的因果関係)、

(三) 因果関係の作用機構が臨床医学的に矛盾なく説明できるか、

(四) 当該結果発生の可能性のある他原因の介入する予知がどのくらいあるか(他原因の介入)、

(五) 当該不作為の有無にかかわらず、結果の発生が避けられないものか否か(不可抗力)

などの点が検討されねばならない。

右のうち、(二)、(三)、(五)については、既に検討したとおりであつて、SFD児と低血糖(症)と脳性麻痺との間には順次連鎖関係があり、低血糖(症)の早期発見治療により、ほぼ脳性麻痺の罹患を回避することができるので、そのためにこそ、ある種の新生児(SFD児)につき、低血糖(症)の早期発見治療の必要性が強調されているものであること、前記のとおりである。

したがつて、ここでは、被告が原告一郎に対し早期に経消化管輸液等の栄養補給をしなかつたために、原告一郎が低血糖(症)を来したかどうか、低血糖(症)により原告一郎は脳性麻痺に罹患したのかどうかが検討課題となる。以下、右(一)、(四)の点を中心にして検討する。

2  本件不作為から結果までの時間的経過

(一) 前記認定のとおり、原告一郎は六日一五時五分にSFD児として誕生し、少なくとも七日朝から哺乳不良の状態であつたにもかかわらず、被告は九日朝まで血糖値検査を行わず、また経消化管輸液等も行わなかつたため栄養補給不足の状態であつた。八日一九時ころと二三時ころに、原告一郎はチアノーゼを起こし、同日一九時以降九日八時過ぎまで全く栄養を補給されない状態であつた。そして九日八時過ぎに、被告がDX法で原告一郎の血糖値を測定したところ、〇ミリグラム/デシリットル(前記のとおり、以下この単位の記載を省略する。)に近い低い値であつた。その後、原告一郎は被告医院を同年一二月三一日に退院し、昭和五九年六月二七日、石川県中央病院の入道医師から、脳性麻痺の診断を受けた。

(二) 文献等によれば、周産期医療の一般的知見として、新生児における一過性の低血糖と低血糖症をどのように区分けするのか、その限界は必ずしも明らかではないものの、一般的には、新生児の場合、血糖値が二〇ないし二五以下のときは概ね低血糖(ないし低血糖症。これ以下の値が二回以上測定されたとき、低血糖症と定義するものもあるし、異常に低い場合には一回の測定値で低血糖症としてよいとするものもある。)とされており、少なくとも〇に近い値のときには、直ちに治療を開始すべき低血糖症と理解されていることが認められる。

(三) 右(一)、(二)、その他前記各検討結果及び本件に現れた一切の事実、特に、SFD児は低血糖症に罹患しやすいと認められること、前記九日八時過ぎの血糖値検査では血糖値が〇に近かつたこと、この血糖値検査まで栄養を十分補給されない状態が続いたことなどを総合するとき、原告一郎は、九日八時過ぎまでの間に低血糖症ないし格別の治療を要する低血糖状態に罹患していたものと認めるのが相当である。被告自身、右血糖値検査をしたところ、原告一郎の血糖値が予想以上に低かつたために、予定していたものよりも高濃度のブドウ糖に点滴の内容を変更したこと、その後、一〇日及び一一日は血糖値検査をして血糖値の推移を観察していたこと、原告らの家族に対し原告一郎が低血糖であつた旨の説明をしたこと、診療録の傷病欄には「低血糖」と記載していることから考えると、九日ないし一一日当時、被告は検査一郎が九日八時過ぎまでの間に低血糖状態にあつたとの認識を有していたものと推認することができ、当時のこのような被告自身の行動ないし認識もまた右認定を裏付けるものである。

この点につき、被告は、DX法は、特に低血糖域においては真の血糖値よりも低い結果がでるので、全く呈色しなかつた場合のみ低血糖と推定すべきであり、少しでも呈色すれば、低血糖である可能性は少ないと考えられるところ、原告一郎の血糖値は二五から〇の間の色調であつて、どちらかといえば〇の色調に近かつたのでカルテに「ほぼ〇」と記載したにすぎないのであるから原告一郎は低血糖ではなかつたと主張する。

しかしながら、被告が自己の主張に沿う証拠として提出する乙第一五号証は、低血糖症の基準を四〇とした上で、DX法により少しでも呈色すれば低血糖である可能性は少ないと述べているにすぎないのであり、低血糖症である可能性がないといつているわけではない。また、被告が指摘する乙第一五号証三六頁の補正式によつても、DX法で〇と判読したケースの半分がGO法で血糖値が二〇未満なのであるから、右証拠をもつて、原告一郎が低血糖でなかつたということはできない。

以上検討したところから、原告一郎が低血糖症に罹患していたことを十分認定することができ、被告の主張は採用の限りでない。

(四) 最後に、論ずるまでもないことながら、原告一郎の脳性麻痺が生後約六か月経過してから気付かれたことをもつて、これが被告医院における低血糖症と因果関係がないことの証左とすることはできない。生後数か月の新生時の成長の遅れが、個人差に過ぎないものか、脳性麻痺等の影響によるものか、特に初産の母親にはもちろん、保健所の医師にもにわかに判別できないからである。

3  他原因の介入

前記認定のとおり、原告花子の妊娠経過はなんらの合併症(妊娠中毒症や糖尿病等)は認められず、また妊娠後期の胎盤機能は正常であつたのであるから、本件脳性麻痺の原因として右合併症や胎盤機能不全を考えることはできない。被告は他原因として、感染症と頭蓋内出血を特定して主張するので、次にこれらについて検討する。

(一) 感染症について

被告は、平成元年一月二七日付準備書面において、九日に白血球数が四三四〇〇(一立法ミリメートル当り)であつたことから、感染症の可能性が考えられ、潜伏期間から考えると、分娩前の感染(即ち周生期障害)と考えられ、脳性麻痺の原因である可能性があると主張する(なお、「小児科学第二版」-医学書院刊-によれば、感染症といつても感染の時期によつて様々な病気があるが、分娩前の羊水ないし産道を通じての感染症には、肺炎、敗血症、髄膜炎などがある。)。

しかしながら、被告は、被告自身の報告書の中で、次のようにいう。すなわち、「本件では肺炎に伴う多呼吸・呻吟・陥没呼吸などの重篤な呼吸障害症状や、髄膜炎にみられる痙攣などの神経症状が認められず、症状としては哺乳障害のみだつたので、比較的軽度の感染症であると考えられた。事実、その後の経過をみると、一三日には末梢白血球数も七一〇〇と正常値となり、感染症に対する適切な抗生物質製剤の早期投与により、大事に至らなかつたものである。感染症については、白血球増加や経過中のCRPの陽性反応から事実存在したと考えるが、その臨床経過からみて低血糖症を生ずるような重篤なもの(髄膜炎や重篤な敗血病)が存在したとは思われず、ましてやその感染症で脳に傷害を残すことはあり得ない。」、というのである。

また、原告一郎入院中に、被告は脳性麻痺の原因となるような感染症を疑つていなかつたのである。そして、診療録によると、原告一郎には重篤な感染症を疑わせる所見がないばかりか、ブドウ糖静注等したところ血糖値は上昇して正常域になつたのであるから、感染症による低血糖でないことは明らかである。

以上の諸点を総合して考えると、原告一郎は脳性麻痺の後遺症を残す程度の重篤な感染症には罹患していなかつたものと見るのが相当である。

(二) 頭蓋内出血について

被告は、原告一郎の脳性麻痺の原因として頭蓋内出血の可能性を指摘するが、被告自身、その本人尋問において、当時原告一郎に頭蓋内出血を疑う症状はないと思つていたと供述し、また原告一郎はブドウ糖の投与により数日中に低血糖状態が治癒し、抗生物質の投与により白血球数も正常値となつたのであるから、右被告の当時の認識及び原告一郎の治療経過から考えると、頭蓋内出血の可能性は否定すべきである。

(三) 以上検討したように、被告が低血糖症以外に本件脳性麻痺の原因となりうるとして主張する疾患は、いずれも原告一郎が罹患していた可能性がないものといわざるを得ない。

なお、被告は脳性麻痺には原因不明のものが二〇ないし三〇パーセントほどあることを指摘するが、およそ脳性麻痺については医学上その原因を確定できないというならば別論として、被告の主張に沿えば、逆に七〇ないし八〇パーセントはその原因を確定ないし推定できることになるところ、本件のように脳性麻痺の原因として十分考えうる低血糖症が存在する場合において、被告主張のように原因不明のものが二〇ないし三〇パーセントほどあることは因果関係を肯定する上で何ら支障とはならない。

4  結論

以上検討したように、SFD児は早期に栄養補給をしないと、低血糖症に罹患しやすく、右に罹患した場合には、脳性麻痺等の重篤な後遺症を残す危険性が高いこと、現実に原告一郎は、哺乳不良、栄養不良の状態に陥り、出生三日目にはチアノーゼを起こし、出生後六五時間後の血糖値は〇に近いものであつたことなどから、低血糖症に罹患したものと認められること、低血糖症以外に本件脳性麻痺の原因が見当たらないこと、そして、被告が血糖値検査を早期に行い、早期に原告一郎の低血糖(症)を発見してこれに対する治療をすれば、本件脳性麻痺の結果は防止できたものと考えられることなどを総合すると、被告の本件不作為が原告一郎の本件脳性麻痺の結果を招来したものと十分に認めることができる。

よつて、被告の本件不作為と本件脳性麻痺との間の因果関係は優に認められる。

七  原告らの損害について

1  原告一郎の具体的症状は、既に一の6で述べたとおりであつて、生涯にわたり日常生活の全般について、母親である原告花子や他人の介護を必要とする。

2  原告一郎は、右の脳性麻痺の状態に照らし、稼働可能と考えられる満一八歳から満六七歳の四九年間を通じ、その労働能力の全部を喪失したものと認められるところ、本件脳性麻痺がなければ、右稼働可能期間を通じて平成元年賃金センサス第一巻第一表、男子労働者産業計学歴計全年齢平均賃金の年収額四七九万五三〇〇円と同額の年間平均収入を得られたものと推認できるので、右の額を基礎とし、ライプニッツ方式により年五パーセントの中間利息を控除して(六七年の係数一九・二三九〇と一八年の係数一一・六八九五との差である七・五四九五を係数とする。)、右稼働期間中の原告一郎の逸失利益を算出すると、三六二〇万二一一七円(円未満切捨)となる。

3  原告一郎がその生涯にわたり全面的な介護を要することは右1記載のとおりであるところ、その介護費用としては、平均余命の七五年間(平成元年簡易生命表による。ただし、少数点以下切捨て。なお、原告らの主張は古い統計により七四年間として計算しているものであるが、損害額の算定方法であるから、これに拘束されるいわれはなく、その請求の範囲内で裁判所が合理的に算定できる。)を通じ一日平均五〇〇〇円(年間一八二万五〇〇〇円)をもつて相当とし、これを基礎としてライプニッツ方式により年五パーセントの中間利息を控除して(七五年の係数は、一九・四八四九)、生涯の介護費用の現価を算出すると、三五五五万九九四二円(円未満切捨)となる。

4  原告一郎の慰謝料としては、同原告の出生年月日、本件脳性麻痺の程度、被告の義務違反の態様、その他弁論の全趣旨を勘案し、一五〇〇万円をもつて相当と認める。

5  本件診療契約上の債務不履行責任を追及しうるのは、右契約当事者であるところ、右契約上、被告に対し、原告一郎出生後、同人につき医学的解明ないし治療を請求しうる契約上の地位にあるのは、原告花子ではなく原告一郎であるから、原告花子は本件診療契約上の債務不履行責任に基づき、被告に対し固有の慰謝料を請求することはできない(最高裁判所昭和五五年一二月一八日第一小法廷判決参照)。

そこで、予備的請求である不法行為責任に基づく損害賠償請求につき検討するに、前記検討結果、前掲各証拠を総合すると、被告の本件不作為は不法行為責任における過失にも該当することは明らかであり、その結果、原告一郎が本件脳性麻痺という死にも匹敵すべき重大な障害を受けたことにより、原告花子が原告一郎の母親として耐えがたい精神的苦痛を受け、原告一郎及び自己の将来に対して常に不安を抱き続けざるを得ないことが認められ、その他本件弁論の全趣旨を考慮すると、原告花子の慰謝料としては三〇〇万円をもつて相当と認める。

6  弁論の全趣旨によれば、原告らは、弁護士である原告ら訴訟代理人に本訴の提起追行を委任し、相当額の弁護士費用を支払う旨を約定したことが認められるが、本件事案の難易、訴訟追行の経過、本件損害認容額、その他本件に現れた一切の事実を勘案すれば、原告一郎につき、本件債務不履行と相当因果関係のある弁護士費用の額は八五〇万円、原告花子につき、本件過失と相当因果関係のある弁護士費用は三〇万円をもつて各相当と認める。

7  なお、原告一郎は、遅延損害金の発生時期について、被告の診療過誤の後である昭和五九年一月一日から発生する旨主張しているところ、本件診療契約の債務不履行に基づく損害賠償債務は期限の定めのない債務であり、債権者から履行の請求を受けた時、すなわち本件訴状送達の時から履行遅滞となるのであるから(前記最高裁判所判決参照)、債務不履行に基づく損害賠償請求の付帯請求として本件訴状送達の日である昭和六二年七月二一日までの遅延損害金を請求することは許されない。しかしながら、被告の本件不作為は、前記検討結果を総合すると不法行為責任における過失にも該当し、原告一郎はこの過失によつて前記2ないし4及び6と同じ損害を被つたものと認めることができるので、不法行為に基づく損害賠償請求権として前記2ないし4及び6と同額の請求権を有することになる。よつて、原告一郎は、不法行為に基づく損害賠償請求権の遅延損害金として、昭和五九年一月一日から本件訴状送達の日までの遅延損害金を請求することが許されることになる。

八  結論

以上の次第であるから、被告の説明義務違反の点などその余の点につき判断するまでもなく、原告一郎の本訴請求は、被告に対し、九五二六万二〇五九円及びこれに対する昭和五九年一月一日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で、原告花子の本訴請求は、被告に対し、三三〇万円及びこれに対する同日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合の遅延損害金の支払を求める限度で、いずれも理由があるからこれを認容し、原告らのその余の請求はいずれも失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行宣言及び原告一郎に対する仮執行の一部免脱について同法一九六条一項、三項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決することとする。

(裁判長裁判官 伊藤 剛 裁判官 橋本良成 裁判官 伊藤知之)

《当事者》

原 告 甲野一郎 <ほか一名>

右両名訴訟代理人弁護士 菅野昭夫 同 西村依子

被 告 石川産婦人科医院こと 石川久夫

右訴訟代理人弁護士 内山弘道 同 中村三次 同 饗庭忠男

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